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ここ最近のメモ
ARCHIVES (ここ最近のメモ)
2026.0417 金
春うらら。 うららうらら、うらうらら。 ちらほらほらほら 早咲きの桜が顔だしている さっぽろですよ。 この陽射しを浴びて 春到来のやっとやっとの わくわくした気持ちって うまく言葉にできません。 自然の 意図されていない 美しさにふれたときの なんともいえない心の手ざわり。 きれい。 それでも足りない。 めっちゃきれい? それは品がないか。 感動した!って言うと ちょっと声が大きすぎるような。 そんなふうに 日常の中にも 言葉にしきれないような 感覚や感情があると思います。 それは 想いを言葉に できないわけじゃない。 「愛」だってそう。 言語として「愛」と 表現されているけど、 それだけじゃ足りないような カラダにわいてくるような 血にめぐるような 温度とともに体感している なんらかの「もの」なのは 間違いないだろう。 だからこそ 本当に感じたとき それを言葉にすると 本当の想いが 薄まってしまうような 言い足りなさが生まれる。 つけたすのも余計で ちょうどいいこれ!がない。 それでいい。 その言葉になりきらないほどの あたたかい想いは 言葉に
2026.0415 木
「memoのLesson」が 体系的に ぐっと深く濃く 新たなプログラムになりました。 モニター&アンバサダー の 募集を開始しました。 限定10名です。 なもんで 文章に関することを 月曜日から書いています。 たしかにそうなんだけど その言葉にしてしまうと なんか違うんだよな。 そういう違和感ってありません? ぼくは ずっとありました。 「memoのLesson」がそうでした。 どんな? なにができるの? それらを手短に言いたい。 だけど、短くするには すでにある言葉に 置き換える必要がある。 共通認識が高い言葉を使わないと ?が?のままになってしまう。 たとえば 対話型の インタビューセッションで 本当の気持ちがわかる。 なんて、今では言い切れる。 でも、 その手短な言葉に カテゴライズされたくない 抵抗感がずっとあった。 まず、セッションって べつにそういうんじゃない……。 本当の気持ちがわかる? いやいや ちょっと言いすぎているし もっとそういうこと ちゃんとやってる人がいるから そこはほらなんかさ あのあれな感じでさ……。 ああ、いじら
2026.0415 水
言葉にする前に、 想いがある。 その、 まだ名前のついていない わたしの感覚を大切にする。 「memoのLesson」 の 新プログラムが生まれました。 同時に、 モニター&アンバサダーを (限定10名)募集しています。 文章が苦手という人は けっこう多いです。 苦手な方は、難しいと言います。 難しいから苦手。 では、 どういうところが苦手なのか。 その理由は 人それぞれです。 そして、 苦手な理由を答えられる その時点で 実は、苦手ではないと思います。 自分で得意と認める そのジャッジが 厳しいだけだったりします。 書けるか 書けないか。 ふたつにわければ だいたい みんな、書ける。 苦手意識のあるないは、 書けるに 納得があるかどうかです。 その基準を 外に置いていると 書けない意識が強まってしまう。 うまく書きたい。 お手本がたくさんあって、 あれもこれもよく見える。 そのうち なにが正解かわからなくなる。 だけど、 うまく書くって、なんでしょう。 それがゴールなんでしょうか。 人にほめられたい。 尊敬されたい。 いいね押してほしい。 その
2026.0413 火
一行のメモから 一生の地図を育てる。 新プログラムになった 「memoのLesson」のお知らせ ご覧になってくれましたか? 正直、長いです。 はしょることなく 全部、しっかり伝えています。 自己紹介のような 手紙のようなお知らせです。 それを めんどくさがらず ふむふむ読んでくれる人に 来てほしいと思っています。 自分のホームページですから 誰に遠慮することもなく たっぷりと詰め込みました。 内容の組み立てから ページ構成まで ぜんぶ自分でやりました。 今回は、そうしようと思った。 わたしは、わたしでいい。 ただ、それをやりたいだけ。 旗を立てたような気持ち。 スッキリしています。 その旗は 素材から探して 探しているうちに どうやら竿も必要なことを知って いったん どうしたらいいか わからなくなって、 どこに立てようか あたりを見回していたら どこでもなく もともと 立っていた 自分の足もとだった。 そしたら スッと立ち上がった。 四月の風を味方に はためいている感じです。 この旗を目印に 集まる人たちがいる。 まだ会ったことのない これから
2026.0413 月
さてさて 今日から募集を始めます。 これを書いている今は まだアップしていないのですが ほぼほぼ、できているのです。 アップしていないのに ふれるのもあれですが ふれざるをえないのです。 言葉と心の文章教室 「memoのLesson」 モニター&アンバサダー募集の お知らせをします。 今まで 「自分の言葉で書く」をテーマに メモのインタビューコースと メモの文章レッスンコースを設けて それぞれ単独で設けていましたが、 これどうやら つながるぞと。 その軸となる キーワードは 「表現」でした。 「書く」だけではない 「文章表現」という領域。 わたしにしかできない表現 それこそが、自分の言葉です。 それを発揮するには、 わたしだけが 感じている想いを知ることが大切。 誰と比べることもなく 正解・不正解、 損得のジャッジもせず、 その先を決めることもなく、 まだ言葉になる前のその想い。 ハツラツと 湧き出てきたわけじゃなく じんわりと浮かんできた にじみ出てきたような なんとも言葉にできない 想いの種のような 名付けようのないもの。 それをわかってあげ
2026.0410 金
ひとつ あたたかさが 増したような さっぽろです。体感です。 うっすらと、湿度がある。 福寿草もクロッカスも見かけた。 街路樹のグリーンが 小さく揃い出してきている。 事務所に着いても ぜんぜん寒くない。 窓とドアを開けて、 換気をしながら これを書いています。 すこしだけど 肌寒くなってきています。 まだ、早い。 もうすこし 様子をみたいと思います。 さあてね。 memoのLessonの 新たなプログラムができました。 月曜日には お知らせができると思います。 只今、 もくもくと準備しています。 今まで単発で行っていた インタビューセッションや プロフィールを書くコースを 体系立てたプログラムとして 新たに再編しました。 点がつながったような感覚です。 自分が なにをやりたがっているのか、 はてして なにをやりたがらないでいるのか、 いろいろ考えながら 迷ったり ひらめいたり 自信がなくなったり。 それでも 続けてきたからこそ わかることができたと思います。 ぼくは 自分の気持ちを伝えるもの、 その前に 自分の気持ちを確かめるもの、 それが、文
2026.0409 木
お弁当、ひとつ。 そこから、ふたつ。 みっつになって、 いま、ふたつになった。 息子の高校生活3年間 毎日の弁当をつくった。 シングルファザーとして ぼくが決めた 彼にしてあげられることだった。 メインのおかずと、 サブのおかずちょいと、玉子焼き。 この3品体制による 献立の考えやすさが 継続の秘訣でもあった。 お弁当づくりは 運動会やイベントごとで 前からけっこうしていた。 でも、特別ではない 毎日の食事としての弁当となると 自分がやりやすい ルールを持つことが必要だった。 高校が始まる前に 書店でお弁当に関する料理本を リサーチをしていたとき これ!という本があった。 その料理本は 「藤井弁当」といいます。 おかずを3品に絞って お弁当づくりを パターン化することで 楽しく続けましょう。 そのメッセージが ぼくには、どんぴしゃで これから継続するという 身構えの力みがゆるんだ。 そうそう、これでいい。 過剰な演出も品数も必要ない。 おいしいを 毎日届けたい。それだけ。 もうひとつ決めたことがある。 インスタにあげないこと。 お弁当男子みたいな
2026.0408 水
電車通りに続く道なり、 桜の枝がほんのり色づいて 桜並木にはほど遠いけれど、 あわいピンクを連ねている。 近いと気づかないけれど ちょっと離れてみると わかることってありますね。 うん。 とくに、話題は続きません。 そうだなあと感じたんです。 いいなあ。 春だなあ。 新しい季節 新しい生活が 始まっています。 まだ慣れないまま 立ち方 歩き方を整えている。 息子が上京して 3人体制から ふたり体制に変化して。 でも、離れたひとりは ぴよ〜んとつながったまま 東京で暮らしている感覚なので、 離れて広がったカタチの 家族というチームで それぞれ活動している。 例えるなら アルフィーみたなもんだ。 THE ALFEEだ。 誰が桜井さんなのかとか そこまでは例えられないのだけど なんかそんな感じだ。 ひとりひとりが 自立しているチームは強い。 勝ち負けの強さではなく 豊かさの強度がある。 安心は、強いんだ。 そこから生まれる信頼が、絆だ。 目に見えないし 数値にもできないけど、 しっかりと在る。 すくすくと育つ軸が 誰にも寄りかからず しなやかに伸びてい
2026.0407 火
チャレンジとか、 なにもしてなくない? というか、 停滞すらしているって。 息子が 志望大学に落ちたのは 1年前のことだった。 その前年の秋ころ 二次試験の面接で 思うように話せずに ダメだったと肩を落として 泣きじゃくっていた。 その涙は、美しかった。 当事者の本人には 言わなかったけれど それほど真剣に目指して 悔しくて悔しくて 泣きじゃくるほどの 挑戦をした彼の涙を 心から讃えた。 とことん 泣いていいと思った。 そのとき うっすら感じたんだ。 あれ? チャレンジとか なにもしてなくない? とういか 停滞すらしているって。 彼のまぶしい姿を見て その光に 見ないでおいた現実が あぶり出されたかのようだった。 親として サポートに徹していた。 それはいい。 だけど、 そのどさくさにまぎれて 自分のことを あとまわしにしていた気がする。 わたし という主語で 生きていなかった。 今になって じわじわ気づいている。 息子のサポートに 一生懸命になることは ぜんぜんわるくなんかない。 それは誇っていいし たくさんねぎらいたい。 ただ、 目標がぼんや
ARCHIVES (過去12カ月のメモ)
過去12カ月のメモ
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ありがとうございます。
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