2026.0605 金
- 2 日前
- 読了時間: 3分
いま、なんか飛んでたな。 父が言った。
彼は今、
特別養護老人ホームにいて
パーキンソン病で
レビー小体認知症がある。76歳。
幻視という
存在しないものが見えるという
症状があると言われている。
いま、なんか飛んでたな。
父がそう言ったとき
うん、なんか飛んでたと答えた。
はなしを合わせたわけではない。
偶然かもだけど、
ぼくも
同じことを感じていた。
ただ言わなかっただけだ。
なんかの
光の反射かもしれないし、
なんかしらの
エネルギーみたいなもの
なのかもしれない。
鳥でも虫でもない。
不確定で
一瞬のことだったし
今べつに
関係ないから
ぼくは言わなかった。
父は、
なんか飛んでいた。
そう感じたことを
言葉にしただけだ。
症状のひとつなのか
思ったことを
口にするようになっている。
言う言わないの
パッキンがペカペカしている。
そのせいか
お前、いい顔しているな。
歳を重ねた男の顔に
なってきたぞ。
なんて言ってくることもある。
もともと
口数の少なかった父に
そんなこと言われたのは
初めてで
照れくさかったけど
うれしかった。
彼は
じっと見ている。
ぼくの顔を
目をのぞきこむように
じっと見ている。
そして
安心した顔を浮かべる。
もしかしたら
ずっとずっと
そうやっていたのかもしれない。
ぼくは
お父さんの言葉を信じている。
あそこに、オオカミがいる。
工場のスイッチを切ってほしい。
その壁、倒れるかもしれないぞ。
電池あるか?
手についているゴミがとれない。
いろんなこと言う。
でも、
それは
ぼくに見えていないだけで
父には見えているというだけだ。
見えているというか
感じているのだと思う。
ぼくに見えていないだけのことを
否定するのは野暮だ。
見える見えないではなく、
そう感じたという事実があり、
その世界があっていいと思う。
本当は
思いっきり
あっちとつながっちゃって
第三の目あたり
パカんと開いてるのかもしれない。
見えたというプロセスに
そう感じたという反応がある。
その根っこには
それぞれの体験による記憶がある。
身体が感じる不安や緊張を
脳みそが勝手に訳して
ビジュアル化しているのだと思う。
だから、
見えているのは、本当なんだ。
真実なんかどうでもいい。
食欲が戻ってきた
父の手は
その日も冷たかった。
マッサージをしてあげたら
うれしそうな顔をしていた。
それは
ぼくにもじゅうぶん伝わった。
言葉はなかったけれど
おだやかな顔だった。
それは、
ぼくを映しているようだった。
帰ることを告げると
父がポソっと言った。
さみしいけど、がんばるよ。
明日も
お父さんに
会いに行こうと思う。
週末もごきげんでありましょう。
