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2026.0227 金
願えば、叶う──。 この言葉にクセを感じていた。 この言葉を無防備に放つ人の クセの強さに疑問を感じていた。 叶わない。 願っているのに、 叶わないのは、 わたしがわるい。 ダメ出しフェーズに入りやすい。 「願う」と「叶う」までの プロセスが省かれている。 達成の条件として 本気で願うこと、 心から信じることとか 加えられるわけで より 実態がつかみにくくなる。 つまり、 「その人次第」の構造が 願いを叶えられない人の 苦しみを強固にしてしまう。 魔法のように 願えば叶うことが ないとは言わない。 ふさわしいときに ふさわしい人やモノや手段を 授かるような出来事が起きる。 こともある。 ぼくの人生にもあったし これからも起きるだろう。 それは、奇跡ではない。 起こるから起きただけ。 願えば、叶う。 なんなら願わなくても叶う。 でも、やっぱり そうしたいのにできない人の 声にして出せない想いを知りたい。 言葉じゃなくていい。 もじもじとして モヤモヤとした その実態のない 霧のようなベールの奥にある かすかな光を浴びたい。 ないと思っている。 なく
2月27日
2026.0226 木
先の出来事への警戒。 まだ何も起きていない「今」から、 こうなったらヤダなのイメージが ふくらむ感覚がある。 警戒というと強めだけど 心配や不安、心細さとかも 人それぞれ、場合によって いろいろあると思います。 人それぞれなのは それぞれ、環境や経験が違うから。 過去に「ヤダ」となった思いをした 経験を覚えているから 「ヤダ」を体験させないように 自分を守るというプロセスがある。 頼んでないのに 守ってくれている。 自分オリジナルの「ヤダ」は めんどうくさいとか かっこわるいとか 恥ずかしいとか なんらかの理由をのっけている。 ぼくの場合は 全方位において のっけた理由のもとに おっかないがある。 おっかないを 人にも自分にもバレたくない。 なんなら おっかないがあるので 「ヤダ」と断れない・進めないのに それを言った先の おっかないがあるから あるはずの理由がつかめなくて なんか「ヤダ」と感じている。 それは 想いを言語化できていない状態だと 思いこんでしまっている。 なので、 「ヤダ」な自分に 「ダメ」を感じる。 なんか「ヤダ」では 理由にな
2月26日
2026.0225 水
期待に応えたい。 それが強くなって 応えなくちゃと負荷がかかると なんか うまくできないことってある。 うまくできなかった。 そう落ち込むのだけど そもそも うまくできなかったを ひもといてみると うまくやってやるぜとか 一目置かれたいとか ドヤ顔がまざってることがある。 結果に利己的なご褒美を さりげなく求めている。 ドヤ顔を気づかれないように さりげなく努めているのだけど それをやっている自分が いちばんわかっているはず。 褒められたい。 まだこの歳になっても ぜんぜん褒められたい。 承認欲求というものに こっぱずかしさを感じつつ もちろん自分にも けっこうあるんだと思う。 こっぱずかしい。 くすぐったいような やんわり恥ずかしさに 滑稽さがまじる感覚。 もー、しょうがないな かっこハートマークで わしゃわしゃしてあげたい。 くしゃくしゃした顔して 心を開いてくる自分が見える。 ぼくは 人のはなしを聞くのが好きだ。 でも もっともっと話したいみたいだ。 しかも自分のはなしを 聞いてほしい欲求が しれっと顔を出している。 そうかそうか 認めてあ
2月25日
2/7(土)
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