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2026.0226 木

先の出来事への警戒。 まだ何も起きていない「今」から、 こうなったらヤダなのイメージが ふくらむ感覚がある。 警戒というと強めだけど 心配や不安、心細さとかも 人それぞれ、場合によって いろいろあると思います。 人それぞれなのは それぞれ、環境や経験が違うから。 過去に「ヤダ」となった思いをした 経験を覚えているから 「ヤダ」を体験させないように 自分を守るというプロセスがある。 頼んでないのに 守ってくれている。 自分オリジナルの「ヤダ」は めんどうくさいとか かっこわるいとか 恥ずかしいとか なんらかの理由をのっけている。 ぼくの場合は 全方位において のっけた理由のもとに おっかないがある。 おっかないを 人にも自分にもバレたくない。 なんなら おっかないがあるので 「ヤダ」と断れない・進めないのに それを言った先の おっかないがあるから あるはずの理由がつかめなくて なんか「ヤダ」と感じている。 それは 想いを言語化できていない状態だと 思いこんでしまっている。 なので、 「ヤダ」な自分に 「ダメ」を感じる。 なんか「ヤダ」では 理由にな

2026.0225 水

期待に応えたい。 それが強くなって 応えなくちゃと負荷がかかると なんか うまくできないことってある。 うまくできなかった。 そう落ち込むのだけど そもそも うまくできなかったを ひもといてみると うまくやってやるぜとか 一目置かれたいとか ドヤ顔がまざってることがある。 結果に利己的なご褒美を さりげなく求めている。 ドヤ顔を気づかれないように さりげなく努めているのだけど それをやっている自分が いちばんわかっているはず。 褒められたい。 まだこの歳になっても ぜんぜん褒められたい。 承認欲求というものに こっぱずかしさを感じつつ もちろん自分にも けっこうあるんだと思う。 こっぱずかしい。 くすぐったいような やんわり恥ずかしさに 滑稽さがまじる感覚。 もー、しょうがないな かっこハートマークで わしゃわしゃしてあげたい。 くしゃくしゃした顔して 心を開いてくる自分が見える。 ぼくは 人のはなしを聞くのが好きだ。 でも もっともっと話したいみたいだ。 しかも自分のはなしを 聞いてほしい欲求が しれっと顔を出している。 そうかそうか 認めてあ

2026.0224 火

生まれた。おはよう。 昨日、23日は誕生日でした。 52歳になりました。 ありがとうございます。 背骨の可動域や 腰回りの筋肉が なんだか少し やわらかくなり 鼻が通っています。 呼吸も深くなっている。 再生している感覚がある。 おぎゃあー。 memoのLesson の 全体を見直して 新たに体系的なコースを じっくりと考えまして、 これがすごくしっくりきてる。 やわらかな軸ができた感覚です。 じょじょにお知らせして 春にはスタートできたらと わくわくしています。 今すぐ言いたいけど しばしお待ちください。 そしたら それを土台に もっと広がるアイデアが じわりじわり湧いてきた。 海底から酸素が浮き上がるように ゆっくりと静かに。 今までのやってきた 小粒なものが 点が線に、面になるような感じ。 ああ、言いたい。 こっちはまだ まとまってないのだけど ハッキリと兆しを感じています。 手応えあり。 父との関係を見つめなおした 。 その先に じわじわと変化が起きている。 あの残骸のような怒りの脈は、 トラウマだったんだと気づく。 背中にプツプツがでて

2026.0220 金

昨日の吹雪からの晴天。 季節がつむじをまわして 暴風でシェイクしながら 新しい季節へ向かって 根っこから変化している。 前日 、 どうでもいいことを書いて とてもスッキリしたので ついでにもうひとつ 本当にどうでもいいことを ここに置いておきたいと思います。 テレビのはなし。 いまだに、 続きはCMの後で!と いいとこでバッサリ切れる あの編集スタイルを見る。 もう定番なんだろうけど、 毎度のこと、かるくやんなる。 それでも、むかしは 本当にいいとこで CMの後に続いていた気がする。 どうなる? あーCMにいった。期待が高まる。 そして、 期待と想像の答え合わせとして、 番組の続きを迎える。 これも演出のひとつだと思う。 でも、その手法が 定番になりすぎて そんなひっぱることでもないのに CMにまたいでいるケースが多い。 ただまたいだだけ。 呆れてチャンネルを 変えることもある。 かるく怒りをおぼえている。 このまえ そんなひっぱることでもないのに CMにまたいでいるのだけど なんだおいおい続くのかよと しょうがないなと 見ていたテレビがある。

2026.0219 木

吹雪・オンザさっぽろ。 英語の使い方は きっと間違っていると思うけれど それもよしとしたい。 ここのところ 父との関係を見つめ直し この場所に つとつと書き記してきたので いったんよしとしておいて 今日はおもいっくそ どうでもいいこと言いたい。 トルコアイスのあれ どこがおもしろいの? 今さら言うことでもないのは じゅうぶんわかっているけど ふれていきたい。 アイスを渡して 手に取ろうとすると ひょいとつかめない。 お客さんとの コミュニケーションとしての パフォーマンスだろう。 観光客相手の サービスなんだと思う。 それはわかる。 わかったうえでだ。 いつ、誰が始めた? 考案者がいたら 本当におもしろいかと問いたい。 イラつくとか ウザイとか そりゃ思うだろうけど そんなこと 言いたいわけじゃない。 どんな顔してればいい? あれを やられてるあいだ ひととおり終わるまで そのパフォーマンスに 付き合わなければいけない地獄。 ただアイスを食べたいだけなのに ともにすべっている時間。 どんな顔してればいい? ぼくは その正解をまだ知らない。 あのパ

2026.0218 水

昨日、 父に会った。 おならマン であり、 刺身嫌い と おじさん嫌い の根源でもある 父の検査に 付き添いで病院に行った。 施設から 妹と一緒に到着した 父の雰囲気がなんか違う。 ぼんやりとして 手ぶらで、丸腰。 子どものようだった。 父にまだ流れている怒り を感じ 心のざわつきの奥にある 残骸のような怒りは 自分そのものだったことを わかることができたのは、 つい最近のことだ。 ずっとずっと感じていた それがぜんぜんない。 食欲がなくて 少し痩せていたけれど 弱っているわけでもない。 おだやかというより まだ眠たそうな表情。 もしかしたら 彼も今、 再生しているのかもしれない。 なんてこと うすぼんやり感じながら 検査は進み どこにも異常はなく ほっとひと安心した。 会計まで時間があり 父が喉が渇いたので ロビーの奥にある 休憩所のような広間に 車椅子を押しながら向かった。 冬の午前の光が 人気のない空間で 跳ね上がっている。 ふたりっきり。 見慣れない場所に 父は少し不安になったようで 周囲をキョロキョロ見渡し 窓の建て付けは大丈夫か 天井

2026.0217 火

雪が降り積もった翌朝の 山の美しさに見入る。 鮮やかな青空をしょって、 純白に輝いている。 昨日 もここでふれた おじさん嫌いのおじさん という気づきは ファッションにも影響していた。 おじさん嫌いのおじさんを 受け止めていなかったわけで その状態は おじさんである現在の自分を どこかで否定していることになる。 セカストが好きで よく行くのだけど パッと気になって手にとる服は いつもサイズが小さい。 むかしなら着れたのに……。 かるく、しょんぼり。 今は着れない せつなさや、みじめさを 何度も味わされる。 自分が自分にやっている。 そのタイトなシャツ レディースサイズが着れたのは もうずっと前の過去のことだ。 本当に着たかったら 痩せればいいはずだ。 そして、 いまそのシャツ着たら ちょっと気持ちわるい。 年相応の服装があり 体型にフィットした ファッションがある。 おじさん嫌いのおじさんを 自分のなかで認めたら 服の選び方が変わった。 好みがガラリと変わったのではなく 客観的な視点が 持てるようになった。 今の自分が どの場面で着るのか。 今の

2026.0216 月

先週の気づき 自分が、 おじさんが嫌いおじさんだった 余波がじわじわ実っている。 木曜 と 金曜 の ここに書いた。2日にわたって。 その根っこに、 父がいたのだけど 思えば 息子の入学祝いで てっちり を食べ 「タラちり事件」を癒したことや、 父のおならが嫌だった ことも わたしを思い出す旅が 始まっていたのかもしれない。 そんななかの同時進行。 施設にいる父が 介護スタッフの方に手を上げたと 妹から連絡が入った。 妹は切ないと語った。 ぼくは、なにも感じなかった。 妹と同じく 職員の方々に申し訳ない想いが 先にあったけれど、 息子として、 なんだか不思議なくらい 動揺もなくただ冷静だった。 妹の切ないという言葉に そうだよね、切ないよねと 同調する素振りをしている自分に 少し違和感をおぼえた。 ああ、いまぼくは 無関心という盾を使っている。 うんうん。使っているよ。 そうか、そうか。 ぼくが 無関心の盾に 隠していたのは、怒りだった。 くそじじい。 まだそんなことやってるのか。 ここ最近の面会でも うすうす感じていた 父に流れている絶え間ない

2026.0213 金

おじさんが嫌いだった がね じわじわときいているんですよ。 どよんと感じていて 「なんかそう」くらいの把握。 うすい膜みたいに存在している。 わかってはいる。 けれど、なぜ?の理由については 進めないというか 進む気もないんだよね。無自覚。 おじさん=おっかない →わかりあえない →危害を加える人 そういう想い込みだった。 その根源は、父だったというね。 嫌いとしておくと 自分主導で決めている場所に 自分を置いておくことができる。 おっかないを見なくて済む。 嫌いの濃度として 嫌悪からの見下す成分もあった。 わかりあえなさに 力でねじふせる弾圧への憎しみ、 矛盾だらけの不当な態度への 見損なう感も混在している。 総じて、 「嫌なめ」にあうがある。 その蓄積された想いは ゆるがないくらいの真実として わたしだけの世界が形成される。 その世界は 過去の傷の集合体でもある。 なかなか アップデートされることはない。 それよりも 過去の世界フィルターで 今の人や出来事を判断する。 「やっぱりそうだ」に寄せることで 過去の世界を より絶対的な正解として わ

2026.0212 木

どうやらぼくは…… おじさんが嫌いだった。 お前もおじさんだろと言われると そんです わたしがおじさんですと答えたい。 なんなら 変なほうのおじさんの自覚もある。 おじさんが嫌い。おじさんなのに。 その違和感に耳をすます。 珍妙なしょうもない問いの 隣にちょっと座ってみる。 すると、見えてきた。 おじさんが嫌い? 嫌いという盾に 守っているものがある。 自分に主導権を持ちたくて 嫌いというカバーをつけている のだけど、そこに苦手意識がある。 さらに苦手意識の根っこには 「おっかない」があった。 ぼくは、おじさんが嫌い。 その言葉をかみくだくと、 出てきた気持ちは 「こわいおじさんがおっかない」。 「おっかない」を守るために、 もしくは見ないために、 「嫌い」で盾をつくり、 武装準備を始めるパターンが ぼくのなかに構築されていた。 やられないために 密かに武器を磨くのだ。 だって、 そのこわいおじさんとは わかりあえないから。 わかりあえない先に 争いが待っている。 そうに違いない。 だから こわいおじさんの 矛盾や隙、弱みを見つけて いざというと

 2/7(土)

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