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2026.0216 月

2月16日
読了時間: 3分

先週の気づき

自分が、

おじさんが嫌いおじさんだった

余波がじわじわ実っている。

ここに書いた。2日にわたって。


その根っこに、

父がいたのだけど

思えば

息子の入学祝いでてっちりを食べ

「タラちり事件」を癒したことや、

わたしを思い出す旅が

始まっていたのかもしれない。


そんななかの同時進行。

施設にいる父が

介護スタッフの方に手を上げたと

妹から連絡が入った。

妹は切ないと語った。

ぼくは、なにも感じなかった。

妹と同じく

職員の方々に申し訳ない想いが

先にあったけれど、

息子として、

なんだか不思議なくらい

動揺もなくただ冷静だった。


妹の切ないという言葉に

そうだよね、切ないよねと

同調する素振りをしている自分に

少し違和感をおぼえた。


ああ、いまぼくは

無関心という盾を使っている。

うんうん。使っているよ。

そうか、そうか。


ぼくが

無関心の盾に

隠していたのは、怒りだった。

くそじじい。

まだそんなことやってるのか。


ここ最近の面会でも

うすうす感じていた

父に流れている絶え間ない怒り。

出力が弱まっただけで

確実にその源泉の現役ぶりを

察知してしまうときに

ぼくの心の奥のどこかにある

凪がざわる、よどみを感じていた。


ああ、そうか

彼にまだ流れている怒りに

反射的にざわつく自分がいる。

彼の怒りは、わたしだ。

か細くも強くある残骸。

キャンプの翌朝の炭みたいに

炎はなくとも

すぐ着火する熱がある。

その情けない怒りは、わたしだ。

ぼくの中にまだ在る

未消化な怒りそのものだ。


ごめんなさい。


心がざわついたとき

正体不明の不一致さの

不確かな気配を感じたとき

その対象に矢印を向けてしまう。

ついつい、そうしてしまう。

でも、違ったんだ。

その出来事は

わたしの心を反映している。


ざわついた自分。

わたしに矢印を向けてみると

ひくくらいの

ネガティブが生きている。

それを見たくなくて

嫌悪したり見下したりして

自分を守っている。

ついつい、そうしてしまう。


ついつい

そうしてしまうのも含めて

こずるくも愛しいわたしがいる。

それがわかると

ネガティブに隠れていた

ポジティブの存在がわかる。


やっと

ちょっとずつ

わかってきた。


ぼくは

わかりたかった。

ずっとずっと

わかりたかった。

そして

わかりあいたかった。

ただただ

わかりあいたかったんだ。


わかりたい。

わかりあえない。

両極がひとつに存在している。

そのひずみに、争いがある。


それが、わかった。


父との関係にあったそれは

社会であり世間であり

宇宙でもあり

つまりは

自分だった。

わたしが

わたしと

わかりあいたくて

わかりあえなかった。

それが、わかった。


深く潜ったら

青空に出たような気持ちだ。


明日は

父を病院の検査に連れて行く。

今日もごきげんでありましょう。

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