top of page

2026.0217 火

  • 20 時間前
  • 読了時間: 2分

雪が降り積もった翌朝の

山の美しさに見入る。

鮮やかな青空をしょって、

純白に輝いている。


昨日もここでふれた

おじさん嫌いのおじさん

という気づきは

ファッションにも影響していた。


おじさん嫌いのおじさんを

受け止めていなかったわけで

その状態は

おじさんである現在の自分を

どこかで否定していることになる。


セカストが好きで

よく行くのだけど

パッと気になって手にとる服は

いつもサイズが小さい。

むかしなら着れたのに……。

かるく、しょんぼり。

今は着れない

せつなさや、みじめさを

何度も味わされる。

自分が自分にやっている。


そのタイトなシャツ

レディースサイズが着れたのは

もうずっと前の過去のことだ。

本当に着たかったら

痩せればいいはずだ。

そして、

いまそのシャツ着たら

ちょっと気持ちわるい。


年相応の服装があり

体型にフィットした

ファッションがある。


おじさん嫌いのおじさんを

自分のなかで認めたら

服の選び方が変わった。

好みがガラリと変わったのではなく

客観的な視点が

持てるようになった。


今の自分が

どの場面で着るのか。

今の自分を

どういうふうに見せたいのか。


ちょっと

笑っちゃうけど

ダンディーを目指したんだよね。

年相応のおじさんでいい。

清潔感とフィット感、

誠実さは在りたいけど

マジメ過ぎずに

信頼や安心感を与えられるような。


自分の現在地点だけじゃなく

事務所に訪ねてきた

初対面の人がどう思うかとか

そんな視点も踏まえて

ひと言でまとめると

「ダンディー」だったんだ。

イケオジでも

おしゃれおじさんでもいい。


その日

服を選ぶのが

楽しくなった。

不思議なもんだ。


このぼくが

ダンディーになる日も

そう遠くないと思う。


今日もごきげんでありましょう。

2026.0216 月

先週の気づき 自分が、 おじさんが嫌いおじさんだった 余波がじわじわ実っている。 木曜 と 金曜 の ここに書いた。2日にわたって。 その根っこに、 父がいたのだけど 思えば 息子の入学祝いで てっちり を食べ 「タラちり事件」を癒したことや、 父のおならが嫌だった ことも わたしを思い出す旅が 始まっていたのかもしれない。 そんななかの同時進行。 施設にいる父が 介護スタッフの方に手を上げたと

 
 
2026.0213 金

おじさんが嫌いだった がね じわじわときいているんですよ。 どよんと感じていて 「なんかそう」くらいの把握。 うすい膜みたいに存在している。 わかってはいる。 けれど、なぜ?の理由については 進めないというか 進む気もないんだよね。無自覚。 おじさん=おっかない →わかりあえない →危害を加える人 そういう想い込みだった。 その根源は、父だったというね。 嫌いとしておくと 自分主導で決めている場所

 
 
2026.0212 木

どうやらぼくは…… おじさんが嫌いだった。 お前もおじさんだろと言われると そんです わたしがおじさんですと答えたい。 なんなら 変なほうのおじさんの自覚もある。 おじさんが嫌い。おじさんなのに。 その違和感に耳をすます。 珍妙なしょうもない問いの 隣にちょっと座ってみる。 すると、見えてきた。 おじさんが嫌い? 嫌いという盾に 守っているものがある。 自分に主導権を持ちたくて 嫌いというカバーを

 
 
bottom of page