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2026.0212 木

2月12日
読了時間: 3分

どうやらぼくは……

おじさんが嫌いだった。


お前もおじさんだろと言われると

そんです

わたしがおじさんですと答えたい。

なんなら

変なほうのおじさんの自覚もある。


おじさんが嫌い。おじさんなのに。

その違和感に耳をすます。

珍妙なしょうもない問いの

隣にちょっと座ってみる。


すると、見えてきた。

おじさんが嫌い?

嫌いという盾に

守っているものがある。

自分に主導権を持ちたくて

嫌いというカバーをつけている

のだけど、そこに苦手意識がある。

さらに苦手意識の根っこには

「おっかない」があった。


ぼくは、おじさんが嫌い。

その言葉をかみくだくと、

出てきた気持ちは

「こわいおじさんがおっかない」。


「おっかない」を守るために、

もしくは見ないために、

「嫌い」で盾をつくり、

武装準備を始めるパターンが

ぼくのなかに構築されていた。


やられないために

密かに武器を磨くのだ。

だって、

そのこわいおじさんとは

わかりあえないから。

わかりあえない先に

争いが待っている。

そうに違いない。


だから

こわいおじさんの

矛盾や隙、弱みを見つけて

いざというときのために

備えておこうと武装準備を始める。


そう思い込んでたのは、わたしだ。

思い込みの原点は、父だった。

ああ、そうかそうだ。

ぼくは、お父さんがこわかった。

おっかなかったんだ。

だから、大嫌いだし、

憎んでもいた。


でも、憎しみを抱える自分が

嫌だったから

いつしか嫌悪を

見下しにすり替えた。

そして、距離を取った。

なんなら

いないものとした。


お父さん

ごめんなさい。

あなたのことが

大嫌いだったよ。

おっかなかったから。

死んじゃえばいいのにって

何度も思ったよ。

本当に、ごめんなさい。


忘れていたこと

思いだすことができた。


もちろん、

そういう想いが構築された

原因は父にある。

くそ短気で、怒鳴るし、殴る。

その怒りの理由がわかりにくい。

なのに、外面がいい。


そう思わざるを得ないわたしを

本当にねぎらいたいと思う。

そのうえで

父の暴力はダメだ。

彼の背景は理解しても

それは受け取らない。

わたしのために線を引く。


どぶみたいな

醜い感情の奥に

まじりっけのない水のような

純粋の源泉がある。

それが、愛だと思う。


ここ最近、

父に会うたび

モヤモヤを感じてた。

年老いた彼に

まだまだ絶えない

微量な怒りが流れているのを感じて

未消化な気持ちの気配があった。

そうかそうか。


またひとつ

立ち返ることができたよ。

お父さん、ありがとう。


お互いさ、

もう楽になろう。

そうなれるよ。ありがとう。


春みたいな陽射しですな。

今日もごきげんでありましょう。


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