2026.1104 水
街路樹の紅葉が
見頃を迎えています。
これはね
忙しいんです。
いつも通る公園の
イチョウの木が
朝陽をまとって
レモン色に輝いていて
しばし立ち止まってしまう。
見入ったあとに
進行方向に顔を向ける途中で
赤や黄、茶の落ち葉が
意図せぬ配置で
公園のグラウンドを覆っていて、
餌を探しているカラスの
まっ黒が映える。
まったくもって忙しい。
街路樹が色づいて
この季節の
午前中の太陽の斜光が
いつもの街の風景を
ドラマチックにさせるのです。
信号の
押しボタンの機械の
サビかげんにさえも
歌があるように感じる。
すべてを
写真に撮っていると
事務所に着かないので
小さく感動して
次に進むというストレスもある。
自分の視点や
心が動くポイントが
かならずしも
みんなと同じではない。
良くも悪くも。
この
忙しさは
内面で発生している出来事なので
はたから見たら、
ちっともわからない。
ただただ
ゆっくり
歩いている
おじさんでしかない。
なにかの装置で
内面を覗いてみたら
モーレツに感動しているのが
目視できたとしたら
きっと驚くだろう。
ひくだろうし、キモい。
我ながら
どうかしているとも思う。
52歳にもなって
ピュアが
枯れていないどころか、
ピュアが
よりフレッシュになっている。
ピュアって、
恥ずかしい。
どれほど
生きづらかったかがわかる。
純粋と繊細を
大多数という大雑把なものに
合わせなければいけないし、
それを守るために
斜に構えるという術を磨いて
心との不一致を背負い込む。
とんでもなく
不器用で
効率のわるい生き物じゃないか。
社会と合わないのもうなずける。
そんなこと考えながら
信号を待っていてね
押しボタンのサビを
写真に撮るのをやめたとき
ふと思ったんです。
社会に合わせるのも
生きるうえでは大切だけど
その社会って
自分を殺してまで
合わせるものなのかな。
大多数というかたまりから
価値が生まれているのだとしたら、
そんな曖昧なものはない。
大多数が圧倒的な力を
示すのだとしたら
不確かな数ではなく、
いっそのこと
地球に合わせたほうがいい。
そっちが、なじむ。
なんて思ったんです。
そうかそうか
なんて
信号が青になって歩く。
キモい。
キモやばい。
単純になっていく
心地よさを感じています。
今日もごきげんでありましょう。
わたしの想いを言葉にする。
わたしにしか書けない文章を書く。
言葉と心の文章教室
