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2026.0605 金

いま、なんか飛んでたな。 父が言った。 彼は今、 特別養護老人ホームにいて パーキンソン病で レビー小体認知症がある。76歳。 幻視という 存在しないものが見えるという 症状があると言われている。 いま、なんか飛んでたな。 父がそう言ったとき うん、なんか飛んでたと答えた。 はなしを合わせたわけではない。 偶然かもだけど、 ぼくも 同じことを感じていた。 ただ言わなかっただけだ。 なんかの 光の反射かもしれないし、 なんかしらの エネルギーみたいなもの なのかもしれない。 鳥でも虫でもない。 不確定で 一瞬のことだったし 今べつに 関係ないから ぼくは言わなかった。 父は、 なんか飛んでいた。 そう感じたことを 言葉にしただけだ。 症状のひとつなのか 思ったことを 口にするようになっている。 言う言わないの パッキンがペカペカしている。 そのせいか お前、いい顔しているな。 歳を重ねた男の顔に なってきたぞ。 なんて言ってくることもある。 もともと 口数の少なかった父に そんなこと言われたのは 初めてで 照れくさかったけど うれしかった。 彼は

2026.0604 木

蜂が入ってきまして。昨日。 事務所の窓を開けていたら、 いつの間にか わりと大きな蜂が飛んでいる。 今年もそういう季節か。 実は、 蜂が入ってくることに すっかり慣れています。 かれこれ、 15年くらいになりますか。 この事務所は 毎年、蜂が入ってくるんです。 そうなんです。網戸がないんです。 あたたかくなってきて 窓開けたくなると 入ってくるんです。蜂が。 たぶん そんなこと書いた投稿が アーカイブにあると思います。 はじめは びっくりしました。 傷つけずに 捕獲して逃す技も身につけました。 でも、不思議なもんで もう驚いたりしない。 気になったとしたら いつものマルバチじゃないけど、 わりと大きな蜂だな。 ということくらい。 そこ? 自分でも可笑しく思えた。 はじめましてー なにしにいらした? 話しかけています。 ヤバめ。ファンタジーおじさん。 その新顔の蜂は 事務所をくまなく飛び回り また同じ窓から出ていきました。 入ってきたら 出ていくんです。 ただそっと 見守っていればいい。 でもどうして 入ってくるのかは よくわからない。 網戸をつけ

2026.0603 水

言葉なんて、なかった。 もともとは、なかった。 いつくらいのことだか 忘れてしまったけれど、 言葉がなくても なにも困らなかった時代がある。 以心伝心。 テレパシーみたいな感覚だろうか。 そのメカニズムはわからなくとも、 なんかできていたんだと思う。 AIが登場しては、 パソコンが登場しては、 なにかと、 旧来の大切な概念や 人間の持つ能力みたいなのが 薄くなるような 嘆きや懸念を耳にする。 言葉や道具がなくても 大丈夫だった時から考えると もうとっくに薄くなっている。 言葉が生まれたとき 文字が登場したとき その爆発的な便利さと裏腹に 人間が退化してしまう感覚を 持ったんじゃないかなあ。 それはもう 今の比じゃないだろう。 ワシの若いころはよ 文字なんかなかったんだ。 今の若いやつは なんでも文字にしやがる。 目を見ても いまいち伝わらないんじゃ。 なんて想像をする。 旧来をやってきた 自分を守るために 新しいものを嘆く人は どの時代にでもいる。 あらためて、考えると 言葉は、便利だ。 気持ちを伝える手段として 今はもう欠かせないものだ。 でも

2026.0602 火

言葉と場。 そこに興味がある。 根底に在るのは、心だ。 言葉を信じたくてたまらない。 だからこそ 傷ついてきたし 失望の悲しみは、 怒りにもなっていた。 それでも 信じたくてたまらない。 そういう性質の装備を選んで この世に 生まれ落ちたのかもしれない。 本物かどうかを知りたかった。 その言葉は 間に合わせなのか 心から出しているのか 嗅覚で判断して見破る。 そんな習性が 身についていたんだと思う。 危険か安全か。 どっちなんだい? それをサーチしている。 瞬時に常に、無意識に。 根底に安心がないから。 だから 言葉の矛盾に厳しかった。 借り物のような言葉を見下した。 心ない言葉を嫌悪した。 人の都合のわるいとこを 見つけるのも得意だった。 その素材を いったん備えておく。 なにかのときの攻撃用として ピストルに弾を込めておく。 危険か安全か。 攻撃の備えは、 自分を守るためだった。 その反面 人のいいところを 見つけるのが得意だった。 ひけらかすことなく なんなら ごく当たり前だとしていて 気づいていないくらいの とても謙虚ないいところ。 それ

2026.0601 月

季節のページが なんかの拍子で まとまってめくれちゃったみたいに さっぽろも夏になりました。 29℃になるらしい。 月初に合わせたのだろうか。 ちょっと前まで ストーブつけてたのにね。 最近の週末は どこかしらの湯につかっている。 温泉っていい。 しごくまっとうなことを言った。 誰だってわかってるだろうけど、 誰よりもつくづく思っている。 そのつもりで言っている。 その途中に訪れる カフェや店、場所に けっこうなヒントがある。 その夜 いいアイデアがひらめいた。 刺激を受けて あったまって ほぐれて出た。 ああ、今もう言いたい。 でも、ちょっと待って。 そのアイデアに ウホウホしていたら ある想いにたどりついた。 ぼくは 言葉を信じたい。 みんなの言葉を信じていたい。 クリエイティブの根源に 愛という希望が灯っているのなら そこから発せられる言葉を 心から信じていたい。 それを ずっとやってきたんだ。 そして これからも とことんやっていく。 そのやり方は 競争でもゲームでもない。 その在り方を ただただわかっていくだけ。 大丈夫。行こう! ウホ

2026.0529 金

自宅のマンションの ゴミステーションの前、 生ゴミが散乱していた。 カラスの仕業だろうか。 めったにないのと わりと広範囲だったもので 残念な気持ちになった。 自分のゴミを捨てに行くときに その状態を見かけて 気づいたんだけれど、 朝の支度もあるので、 そのまま見過ごした。 片付けたい気持ちと、 めんどうな気持ちがあった。 朝の支度を終えて 1階に降りると ちょうど ゴミ収集車が到着していた。 チームのうちの ひとりの作業員の方が 大きな熊手のようなほうきで 散らかったゴミを かき集めてくれていた。 ゴミ捨て場の中に入り、 こぼれたゴミを掃いてくれていた。 機敏な動きが たのもしかった。 かっこいいと思った。 尊敬の念を抱きつつも  さっき  そのゴミを見過ごしたのは  わたしです。  申し訳ありません。 という自責の念のような ばつのわるいような 気持ちがじわっと見えた。 その想いも含めて おつかれさまです。 いつもありがとうございます。 とお声をかけさせてもらった。 大きな木製のほうきみたいなのは ゴミ収集車の後部サイドに さくっと戻された。

2026.0528 木

今日、めっちゃよかったですよ。 うん。めっちゃよかったです。 歯医者さんの定期検診で 歯科助手さんにほめられた。 うれしかった。 ただ、なんとなく そう言われるような気もした。 もうかれこれ 7〜8年は通っているだろうか。 もともと 歯医者さんが大嫌いで その理由は、 こわいからだった。 痛いことされる。 おこられる。 仰向けになる警戒。 機械音。 いろいろ理由はあった。 なので 治療中はもちろん健診中でも カラダがガチガチだった。 身構えている。 だいぶ ほぐれてきてはいたけれど どうしても 無自覚ながらも 力んでいたと思う。 そうそう あと、鼻呼吸が難しいのもあった。 デフォルトで 鼻つまり気味さんだったので 呼吸の難しさはシンプルにつらい。 今日は スースー鼻呼吸ができてる。 そう気づいたとき 力みがないことにも気づいた。 マッサージされているかのような リラックスを感じたんです。 もうひとつ言うと ありがたさがわいていた。 なんなら いつもありがとうございます という気持ちが カラダにめぐっていた。 痛いことをする人ではなく、 歯のケアを

2026.0527 水

山が夏だ。 藻岩山が夏だと言っている。 わたしの街の 藻岩山に茂った 木々の緑の コントラストに うっすら乳白色の フィルターがかかり 朝の大陽が眩しい光を注ぐ。 気温を上げるぜ。 自信すら感じる。 準備はしている。 くるぶしの出るくつしたを出した。 冬物と夏物を いつでも完全に入れ替えられる。 今年の夏は、 暑いらしい。 上等。 冬が寒いのも 夏が暑いのも ただそれだけ。 なんなら偶然。 ギラギラに暑くなってかまわない。 だって、夏なんだから。 水分補給だってぬかりないぜ。 日光湿疹すぐできるけど、 そんなもの気にしないぜ。 紫外線から目を守りたいぜ。 だけど 日常でのサングラスが やっぱりなんか照れくさいから クリアなUVカット機能のある メガネをかけているんだぜ。 必須だ。 度は入ってないんだぜ。 オッケー? 暑かったら 半袖も短パンも着る。 だって、暑いから。 自然で在りたい。 そんなこんなの気持ちで 夏をスタンバッテいます。 だけども、 やや心配なのは スーパーの冷房。 Tシャツだけでいると おなか冷やして ぐるぐるなってしまう。 日常

2026.0526 火

クリエイティブ という言葉を使うのに なんだか抵抗があった。 しゃらくせえ感じ。 すました顔した こぎれいなやつらのあいだで 消費されているような言葉。 そうだとしたら 抵抗していたいという、 ねじくれが 思い込みのもとに立っていた。 自分も該当する領域の仕事だった。 いやいや、 そんなもんんじゃありません。 ただの個人商店です。 なんて冗談みたいに濁していた。 ぼやかすという体裁を借りた 頑固な信念でもあった。 この融通のきかない頑固さは ぼくの根底にけっこうある。 とっても逆らっている。 そんなもんじゃねえ。 軽く扱うな。 叫んだり、嘆いていた。 その理由は 大切にしているからだった。 恥ずかしいくらいシンプル。 大切すぎて ふれてほしくない。 好きすぎて こじれていたのだった。 熱い想いが 流れていた。 クリエイティブは、愛だ。 そして ごく一部の人たちの特権ではない。 お父さん、お母さんも 子どもたちも、 おじいさん、おばあさんも、 すべての人の 根底に宿っているものだ。 どう使うかは その人の生き方に委ねられる。 たのしくやろう。 その

2026.0525 月

臭みがなくて、おいしい。 よく耳にする言葉だけど あんまり褒めている気がしない。 前科がなくて、やさしい。 そう言われても ぜんぜんうれしくないと思う。 臭みがない。 「ない」と伝えたいのだけど 「臭み」が前提にあるから いったんまず 「臭み」をイメージしてしまう。 素材の新鮮さなのか 下処理の技術力なのか 臭みがない理由が かならずあるはずだ。 だから そこをすっとばして 臭みがないと伝えるのは 失礼なんじゃないかと思う。 臭みがない=おいしい とも限らないとも思う。 なんなら おいしいものは、くさい。 くさいものほど おいしいもんだったりする。 いろいろ言ったけど 食べものの 味の説明するのって、野暮だ。 もどかしい。 「おいしい」だけでいい。 料理ならなおさら つくった人が おいしい理由を 誰よりもいちばんわかっている。 ぼくは それが嫌で 飲食店の取材の仕事を しないように決めた。 作り手への敬意と 言葉にしたくないけど 言葉にして伝えなければいけない もどかしさをわかったうえで でもやるんだと挑んだ仕事を 最後にして 飲食店取材を受ける

 2/7(土)

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