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2026.0526 火

クリエイティブ という言葉を使うのに なんだか抵抗があった。 しゃらくせえ感じ。 すました顔した こぎれいなやつらのあいだで 消費されているような言葉。 そうだとしたら 抵抗していたいという、 ねじくれが 思い込みのもとに立っていた。 自分も該当する領域の仕事だった。 いやいや、 そんなもんんじゃありません。 ただの個人商店です。 なんて冗談みたいに濁していた。 ぼやかすという体裁を借りた 頑固な信念でもあった。 この融通のきかない頑固さは ぼくの根底にけっこうある。 とっても逆らっている。 そんなもんじゃねえ。 軽く扱うな。 叫んだり、嘆いていた。 その理由は 大切にしているからだった。 恥ずかしいくらいシンプル。 大切すぎて ふれてほしくない。 好きすぎて こじれていたのだった。 熱い想いが 流れていた。 クリエイティブは、愛だ。 そして ごく一部の人たちの特権ではない。 お父さん、お母さんも 子どもたちも、 おじいさん、おばあさんも、 すべての人の 根底に宿っているものだ。 どう使うかは その人の生き方に委ねられる。 たのしくやろう。 その

2026.0525 月

臭みがなくて、おいしい。 よく耳にする言葉だけど あんまり褒めている気がしない。 前科がなくて、やさしい。 そう言われても ぜんぜんうれしくないと思う。 臭みがない。 「ない」と伝えたいのだけど 「臭み」が前提にあるから いったんまず 「臭み」をイメージしてしまう。 素材の新鮮さなのか 下処理の技術力なのか 臭みがない理由が かならずあるはずだ。 だから そこをすっとばして 臭みがないと伝えるのは 失礼なんじゃないかと思う。 臭みがない=おいしい とも限らないとも思う。 なんなら おいしいものは、くさい。 くさいものほど おいしいもんだったりする。 いろいろ言ったけど 食べものの 味の説明するのって、野暮だ。 もどかしい。 「おいしい」だけでいい。 料理ならなおさら つくった人が おいしい理由を 誰よりもいちばんわかっている。 ぼくは それが嫌で 飲食店の取材の仕事を しないように決めた。 作り手への敬意と 言葉にしたくないけど 言葉にして伝えなければいけない もどかしさをわかったうえで でもやるんだと挑んだ仕事を 最後にして 飲食店取材を受ける

2026.0522 金

唯一無二。 誰もがそうなんだけど なかなかそう思えない。 言葉の力強さに 遠慮が生まれる。 いやいや そんなそんなって ちょっと笑ってしまう。 その気持ちはわかる。 あなたは 唯一無二の存在だ。 急にそう言われたら 照れるよりも先に どしたどした?となるだろう。 ぶっとい筆字で 四文字熟語が書かれた旗印を うぉーっと掲げられたような たいそうなスケール感があって、 すっと受け取れない。 即答で はい。そうです。 わたしが唯一無二ですと 躊躇なく受け取る人は あまりいないと思うし そうじゃない人のほうが 信頼できたりもする。 でも わたしは、唯一無二だ。 そう思っていていい。 人に言わなくていいし そんな旗を振り回さなくていい。 わたしは かけがえのない存在なんだと 心の片隅に そっと置いておきたい。 ちょっと聞いた? かけがえのない存在なんですって! おばさんみたいに 問いかけてみてもいい。 あらーどしたの急に?なんて ひとり井戸端会議をしてもいい。 唯一無二。 ゆいつむに。 むに? むにむに。 むにむに、むにむに。 やわらかくなってくる。 そん

2026.0521 木

人前で話すのが苦手だった。 昨日、 そんなことを思い出した。 べつに、まだ得意ではない。 思い出した余韻で ひとつ気づいたことがある。 人前で話すのが苦手だったから ぼくは、書くことを選んだんだ。 話すと書くは違う。 話すの前提に 頭ごなしに否定されたり 言葉を塞がれたりを タイムリーにされてしまう。 という 自分ならではの怖れがあった。 それに比べて 書くのは 言いたいことを整理する 時間をとれるし よほどのことがないかぎり 途中でジャマされることもない。 自分にハンドルがある。 消したり 修正したりもできる。 精度を高められるし、 保険がきくような 消極的な理由も含めて 好んでいると思う。 作文が得意だった。 見たこと聞いたこと 感じたことの経験が蓄積され そのストックから マッチした場所に出す。 そんな感覚が むかしからある。 そのなかでは 自分の意見を述べることを 許可できていたんだと思う。 その勇気を わずかながらも放棄しなかった。 なにを書いてもいい。 なにを書くのを決めるのは、 わたししかいない。 話したいより 聞いてほしい。 話せ

2026.0520 水

苦手なことってなんだろう。 そんなこと考えてみたら、 ほとんどのことが苦手だった。 得意になったのは 苦手から逃げることだった。 接してしまいそうな その気配に敏感になり スムーズに回避する。 いつまでも 逃げきれるわけじゃない 残尿感みたなモヤっとが募る。 人前で話すことが苦手だった。 今でも得意ではない。 苦手というより嫌だった。 それ以前に 自分の思っていることを 人に話すことが苦手だった。 理由もなく 涙目になってしまう。 声がかすかに震えるし それがまた恥ずかしかった。 その一方で 大きな声でハキハキと 流れるように話す人を どこかバカにしていた。 信頼ならないとさえ思っていた。 型とテクニックの 馴れ合いのにおいがして 心ないものに惹かれなかった。 そういう人もいたし そうじゃない人もいた。 バカにすることで 自分を守っていたんだと思う。 本当はそうなりたい。 大人らしく ハキハキ流れるように 世間様と対等に話したい。 なりたいのは その表層的なことではなかった。 みんなに 話しを聞いてほしい。 ぼくの話しを聞いてほしい。 話したいよ

2026.0519 火

場への敬意ってある。 人だけじゃなくて。 昨日の 公園で花を見せてもらった件を 振り返りながらじんわり思う。 じんわりなので これといった明確なものはない。 事務所に来たとき帰るとき いったん出かけるときとか ぼくは挨拶をしている。 おはようございます。 いってきます。 戻りましたー。 おつかれさまでした。 土日は休みます。 出入りの際、 事務所の空間に挨拶をする。 いつからかわからない。 ずっとそう。 空間も生きている。 ぼくとはカタチは違うけど ひとつの生き物だと思っている。 花にも観葉植物にも 鳥や虫にも ギターやパソコン、文房具にも そういえば、話しかけている。 言葉でのラリーはないけど 挨拶をしたり 話しかけたり 声に出さなくても 声をかけている。 声に出さない場合は 手のひらで声をかけている。 珍妙な ファンタジーおじさん。 そう思われてもしょうがない。 けど、 そういうわけでなく 疑うことなくやってるだけ。 公園だって どこかの山や川だって 「おじゃまします」の気持ちに その場への敬意を込めている。 自然はとくにそう。 「場」という

2026.0518 月

花を見てもらえますか? 公園を歩いていたら そう声をかけられたんです。 60歳くらいの男性でした。 花の咲く場所まで 数十歩くらいの距離を ついて行きました。 公園の散策路から少し外れた 草の茂る木々の立ち並ぶ場所に、 白い花が 咲いていたんです。 名前は、たしか エゾノウワミズザクラと呼ぶ。 とても 可憐で香りのいい花でした。 毎年、花の数が増えていくとか 今から7年ほど前に植えて この場所で育っているとか、 その男性が 初めて知るサクラについて たくさん教えてくれました。 男性と場所の 重ねてきた時を 受け取ったような時間でした。 なぜ ぼくたちに教えてくれたのか 理由はわからないのだけど、 花の美しさとともに 貴重な経験を わけてくれたような 不思議なありがたさを感じました。 声をかけてくれて ありがとうございます。 なんの矛盾もなく 受け入れる自分と それを 珍しい出来事としていない 通常モードの自分が なんかおもしろくも思います。 どうして 声をかけてくれたのかは わからないけれど その場所に 敬意を持って入っていたことは 自覚していま

2026.0515 金

冥王星が逆光しているようでね いろんな意味で 再生が起きる時期だそうです。 わりと そういうはなし好きでして そうかなるほど 当てはまるわーなんて 納得したりしています。 星の流れには 抗えないのよ。 そう思っている。 一方で、 その抗えなさを受け入れつつ 小さくても 流されてもいいから ハンドルは 自分で持っていたいと思う。 冥王星が逆光している。 だからなのかと納得するけど それは、星のロマンを 余白に置いているだけだ。 地球に住む者として 天体や気候の影響を 受けないはずがない。 わたしも自然の一部であるという 争わない肯定感のもとに 星のロマンを楽しんでいる。 とはいえ 答え合わせの 指針にはしていない。 宇宙の出来事は 自分の内で起きているから なんとなく感じるものだと思う。 スピリチュアル的なことを 否定するつもりはないけど 自分が本気で考えていることは ドスピリチュアルだったりする。 それはさておき ただ、 プロセスを重んじたいと思う。 冥王星が逆光したから 再生が起きているんです。 とか、 前世が魔女だったとか どこどこの星の宇宙

2026.0514 木

道すがら ツツジが咲いていた。 赤めいたオレンジの花びらが うわっと飛び出したように キラキラとしていたので、 立ち止まって写真を撮った。 撮って、終わり。 ツツジにハッとした瞬間と 撮った後の画像データには 温度差みたいなのがある。 時間差に比例したものなのか 撮影テクニックの問題なのか ハッとした瞬間の ツツジはもうどこにもいない。 それでも 写真におさめるのだけど 撮らないという選択も 大切にしていたいと思う。 心にそっと とっておいていい。 時間とともに 消えてもいい。 これ ぜんぜん違う 例えかもしれないけど とってもいい天気の日に 外に行かないで 家でゴロゴロするのもいい。 みたいな。 違うか……。 なんにもしないという選択が あっていいという余白の感覚。 選択そのものが わたしにあるんだと 謙虚に思っていたい。 断っていい。 そういう余白があっていい。 選ぶのはわたしだ。 正解でも不正解でもない。 あるのは わたしへの尊重だ。 おだやかな余白が 内と外の距離にある。 安心して、選んでいい。 そいう世界を 選んでいこうと思う。 振り返

2026.0513 水

あんなに雪があったのに……。 いつのこと言ってるんだと 冬にも 呆れられるかもしれないけど、 わりと本気で思っています。 あんなに降って たくさん雪かきして ぜんぜん減らなかった。 太陽の加減で あっという間に溶けて 花まで咲いているし、 なんなら夏みたいになっている。 少しずつ変わる。 俯瞰的に見たら ぜんぜん 変わってないかもしれないけど ささやかなメモリを刻んでいる。 ああ変わった。 そう思ったとき もとに戻っただけだったと 気づくのかもしれない。 ぼくの暮らしも 少しずつ変容している。 春から息子が大学へ進学して 晩ごはんとのスタンスが 変わってきている。 奥さんとふたり さくっとライトな 晩ごはんになっている。 日中けっこう食べたから 今日の夜は食べなくてもいいとか さくっと うまい揚げを焼いて 日本酒でやろうとか、 わっさり野菜食べようとか そもそもが変化している。 食べたいか 食べたくないか おなかに聴く。 なにを食べたいのかも おなかに聴く。 それが少しずつできてきている。 カラダが軽い。 そんで、早く寝る。 目覚めがよくて 朝ご

 2/7(土)

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