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こういうことは よくあることです。 さっき なにかについて書こうと 頭の中でざっくりまとまったのですが 植物に水をやったり 歯を磨いたりと 朝の支度をしているうちに はて?なんだっけと すっかり消えてしまいました。 とはいえ たいした内容ではない。 それはいつものことですし 思いついた時の手応えからも たいしたことない残像があります。 そんなときは あっさり諦めるのがいい。 忘れてしまうってことは それだけのことなんだ。 そう言い聞かせながらも 未練がましく なんだっけなと 散らかった部屋で なくしものを探すように 脳内をぐるぐるしますが ざっくりと散らかっているだけです。 いつも ふわっと書き出しています。 パソコンを立ち上げ、 ほぼ即興のようなもので ここを書き進めています。 だいたい10〜20分くらいでしょか。 よくやれるなあとも思います。 でもまあ、垂れ流しです。 書いている様子を撮ってみようかしら。 漫画の生まれる現場のように 画面もカメラでおさえて。 んんん、味気ない画だなあ。 書いているところを 生で配信するとかありだろうか。

地味? 需要いかに……。 んんん。とにかくちょっと またおもしろいことを やりたくなっているのは確かです。 思い出せないまま、このへんで。 今日もごきげんでありましょう。

2025.1117 月

ふぐを食べました。 昨日。51歳にして初めてのこと。 息子の大学合格祝いです。 家族3人で、ふぐを食べました。 合格祝いは何を食べたいか 遠慮しなくていいからと 尋ねてみたらば ふぐを食べてみたいと まっすぐに言うわけです。 食べたことがないからと。 そうかそうかと 予想外の答えに 少したじろいだりもしました。 なぜなら ぼくは ふぐを食べたことがない。 うまい店も知らない。 そもそも 食べたいと

 
 
2025.1114 金

先日の11/11に行った 「書くことが楽しくなる文章教室  みんなでお茶するかい」の シェアを今日もしたいと思います。 週末のきりのいいとこまで ひっぱらせてください。 配慮と遠慮。 これが隣り合わせである。 文章を書くことにおいて この配慮を持っている人が ぼくは大好きです。 自分が書いたものの先に かならず読む人がいる。 その根元に どう届くのかを想定している あたたかい気づかいがある。 その

 
 
2025.1113 木

センスがある。 センスがない。 よく聞く言葉だけれど、 ぼくはあまり 使わないようにしている。 この前の 書くことが楽しくなる文章教室で センスあるないの件が 話題に出たので ここでもシェアしてみたい。 ぼくも 書くことを仕事にしていると 文章のセンスがあるんですねと 言われることがある。 そこに他意はないと思うのだけど、 センスなんかで 仕事やれねえよ。 なめんな。 という ゴリゴリのめんどくさ

 
 
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