2026.1105 木
振り返ってみると
恩師っていう存在がいない。
恩師までいかなくても
お世話になった先生とか
大好きな先生とかもいない。
先生運がわるかった。
そういうことでもないと思う。
なんだ?先生運って。
いいなあ。とも思う。
卒業しても交流があったり
うれしい報告をしたりして。
いい先生がいなかった。
そうも思っていた。
昭和のバグった教育現場で
体罰上等の教師が
デフォルトだったような時代だ。
竹刀とか
でかい定規とか
なんかしらの武器を持っていた。
それは本当に武器で
子どもたちを叩く道具だった。
制服の校則違反を
厳しく取り締まる立場の教師は
上がジャージで
下がスラックスという
珍奇なファッションだった。
あの服装がOKだという認識は、
社会からずれていると思っていた。
ルールは守りたい。
だけど、
ズボンが太いことや
髪が長いこととかを
厳しく取り締まる体質に
ずっと違和感を覚えていた。
なぜダメなのかを
説明できる大人はいなかった。
決まって言う。
規則だから。
いいからやれ。
その言葉を耳にするたび
なにかが、
すり減っていくような
気持ちになっていた。
そりゃ
恩師なんているわけないだろう。
というか
根底から疑っていたんだと思う。
矛盾を暴きたかった。
不当なものを浴びたくなかった。
バカにしてたし
こわかったんだよね。
その根源は、父だ。
ぜんぶわかって
ぜんぶ受けとめると
ぜんぶしっくりくる。
今さら
恩師を羨む52歳。
ちょっとイタい。
なくて後悔もないのだけど
人生のオプション的に
あってもよかったなと思う。
ただ
優れた算数の
教師に出会いたかったなあ。
もしも
子どものころに出会っていたら
ぼくは研究者になって
なんかしらの謎の数式を
解明していたと思う。
わりと、本気で思っている。
恩師という存在は
いなかったけれども
尊敬する人は
たくさんいる。
それは恵まれた人生だと思う。
なんのはなしだこれ?
今日もごきげんでありましょう。
わたしの想いを言葉にする。
わたしにしか書けない文章を書く。
言葉と心の文章教室
