2025.1212 金
- minoru HASHIMOTO
- 2 日前
- 読了時間: 3分
冬、まっしぐら。にゃー。
乗車中の市電の座席で
開いた入り口のドアから
ひらひらと降り続ける雪に見入り、
ああ、まっしぐらだと感じました。
それはそうと
ちょっと言いたい。
自分の性格のわるさを前提として
ちょっと言いたい。
なじみの店がね
SNSで紹介されていること
よくあるじゃないですか。
そのとき、
ちょっと嫌な気分になること
ぼくだけですか?
よく行く食堂が
よくわからん
インフルエンサーみたいなもんに
穴場的!むかしながらのーとか
ノスタルジック!ほっこり料理とか
しょうもないコピーでくくられて
広められているのを見ると
なんかモヤっとします。
これは
よくある
ニワカを軽んじる
古参の図式なのだろうか。
俺様はもっと前から知っていた。
という自己アピールだったら
ちょっと恥ずかしいと思う。
スポーツでよくあるよね。
あるチームが活躍して
注目度が高まったとき
古参がニワカを馬鹿にするケース。
あれは、好きじゃない。
ニワカはファンの入り口だし
新しい流れができてこその存続だ。
それを否定するのは
自分のことしか
考えていないのだと思う。
そんな要素が
自分にまったくないとは言えない。
いい店を知っている。
その年月が長ければ長いほど
多少なれど、ドヤ感はあると思う。
モヤっとするのは
表現なんだと思う。
よくあるステレオタイプの
キャッチコピーもどきの言葉や
流行りの単語を
埋め合わせているような
雑な紹介の仕方を見て、
心なく感じてしまうのだと思う。
お前ごときが
再生数稼ぎのネタ集めに
巻き込まないでくれよ。
と、腹の中で思っている。
そう、ぼくの好きな店を。
好きだから
残念に思うモヤがある。
そして、
人より表現に厳しい気がする。
とくに、言葉だ。
雑な心ない表現に
怒りを持っている。
そこには
寄り添いたいを
大切にしている自分がいる。
その人に代わって
広めるという役割の
責任の重さを知っている。
そして、無力さも知っている。
言葉にできない想いに
寄り添いたくて
たまらない自分がいる。
ということがわかった。
だから
モヤっともイラッともしていい。
わたしの心のなかで
それを許可したい。
厳しさは人にむけずに。
そして、
わたしが大切にするものを
とことん大切にしたいと思う。
自分が思っているよりも
好きだったんだってこと
大切にしてたんたってこと
みんなにもあると思うんです。
当たり前で気づかないんだよね。
それを再発見するお手伝いを
ぼくは、やりたくてたまらない。
ワンツーワンツー、1212!
さあ、今月も中旬に向かうよ。
暮れてるねー。
週末もごきげんでありましょう。
