2025.1211 木
- minoru HASHIMOTO
- 12 分前
- 読了時間: 2分
そういえば
この前の地震で
テレビのアナウンサーが
避難警告をしているとき、
その声をこわいと思わなかった。
こんなたいへんなときに
自分の家族を心配したいところ
職務をまっとうして
頭が下がる想いになった。
それがどうしたと思うかもだけど、
自分にとっては
大きな変化で
後からじんわり驚きかみしめた。
能登半島地震のとき。
あれは、2024年の元日だった。
にぎやかな正月特番を観ていた。
テレビは地震の速報に切り替わり、
女性のアナウンサーが
大きな声で避難勧告をしていた。
逃げて。
心の奥からザワザワと
恐怖の気配を感じていた。
その報道から離れられなくなり
しまいには
ソファーの上で
うずくまるように寝てしまった。
青ざめて
体温がゆっくりと
下がっていくように
意識がフェードアウトした感覚を
今でも覚えている。
それは、死だった。
逃げて!を浴びて
ゆるやかな絶望に包まれ
動けなくなってしまって
気づかないうちに眠っていた。
居間に出てきた息子に
起こされたのを覚えている。
部屋は真っ暗で
テレビの中の
大混乱は夢じゃなかった。
このアナウンサー
もっと優しく言ってほしい。
そう言うと、息子は
これは命に関わることだから
あえて強く言ってるんだよ。
このアナウンサーも
たいへんだと思うよ。
そんなこと言われて
その通りだと思った。
では、なぜぼくは
その声をこわいと感じたのか。
それは、
幼少期の母親の
怒鳴り声だった。
父との夫婦喧嘩、
激しく叱られたときの
恐怖の傷だった。
恐怖に
揺さぶられて
自分の恐怖が炙り出され
それがあったことがわかった。
わたしが受けた暴力は
わたしの中にも生きていた。
忘れることで
傷を守っていた。
そこから
自分と向き合うことを
本気で受け止めたんだと思う。
逃げてと言っていた自分から
逃げようもなくなり
逃げないと決めたのかもしれない。
あれから
いろいろわかった。
忘れたい生き物だったけれど
わかりたい、
わかりたくてたまらない
生き物だということもわかった。
1年が終わっていく。
わたしは本当によくやった。
そうねぎらってあげたいし、
そのねぎらいを受け止めたい。
今すでに、
もち食べたい。
今日もごきげんでありましょう。
