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2025.1211 木

そういえば

この前の地震で

テレビのアナウンサーが

避難警告をしているとき、

その声をこわいと思わなかった。

こんなたいへんなときに

自分の家族を心配したいところ

職務をまっとうして

頭が下がる想いになった。


それがどうしたと思うかもだけど、

自分にとっては

大きな変化で

後からじんわり驚きかみしめた。


能登半島地震のとき。

あれは、2024年の元日だった。

にぎやかな正月特番を観ていた。

テレビは地震の速報に切り替わり、

女性のアナウンサーが

大きな声で避難勧告をしていた。


逃げて。


心の奥からザワザワと

恐怖の気配を感じていた。

その報道から離れられなくなり

しまいには

ソファーの上で

うずくまるように寝てしまった。


青ざめて

体温がゆっくりと

下がっていくように

意識がフェードアウトした感覚を

今でも覚えている。


それは、死だった。

逃げて!を浴びて

ゆるやかな絶望に包まれ

動けなくなってしまって

気づかないうちに眠っていた。


居間に出てきた息子に

起こされたのを覚えている。

部屋は真っ暗で

テレビの中の

大混乱は夢じゃなかった。


このアナウンサー

もっと優しく言ってほしい。

そう言うと、息子は

これは命に関わることだから

あえて強く言ってるんだよ。

このアナウンサーも

たいへんだと思うよ。


そんなこと言われて

その通りだと思った。


では、なぜぼくは

その声をこわいと感じたのか。

それは、

幼少期の母親の

怒鳴り声だった。

父との夫婦喧嘩、

激しく叱られたときの

恐怖の傷だった。


恐怖に

揺さぶられて

自分の恐怖が炙り出され

それがあったことがわかった。


わたしが受けた暴力は

わたしの中にも生きていた。

忘れることで

傷を守っていた。


そこから

自分と向き合うことを

本気で受け止めたんだと思う。

逃げてと言っていた自分から

逃げようもなくなり

逃げないと決めたのかもしれない。


あれから

いろいろわかった。

忘れたい生き物だったけれど

わかりたい、

わかりたくてたまらない

生き物だということもわかった。


1年が終わっていく。

わたしは本当によくやった。

そうねぎらってあげたいし、

そのねぎらいを受け止めたい。



今すでに、

もち食べたい。

今日もごきげんでありましょう。

2025.1210 水

札幌は、昨日も少し揺れました。 でも、 ニュースは見ていません。 SNSでもチェックしていません。 ひとまず 身のまわりは大丈夫なので 情報を追わないことにしました。 あとは、みんなの無事を祈る。 友人・知人、 会ったことのない人も もう会うことのない人も含めて みんなの無事を祈って寝ます。 2018年の 北海道胆振東部地震のとき ニュースもツイッターも ずっと見ていて ただ疲れた記憶があります。

 
 
2025.1209 火

窓から見える山々は すっかり雪をかぶっています。 まっ白。 昨夜、札幌も揺れました。 そのとき、風呂に入っていました。 湯船に浸かっているときに。 全裸でびしょ濡れ。 緊急時のあらゆる状況においても いちばん弱い状態だと思います。 急いで服を着るも 髪がぜんぜん濡れたまま。 おかしいと思ったら リンスをすすいでいなかった。 最近、ゆっくり風呂に入るとき リンスをつけたらすぐ流さずに 湯船に浸かりな

 
 
2025.1208 月

雨から雪。 さっぽろは、 水っけの多い雪が降っています。 今日は、 ジョン・レノンの命日ですが、 母の誕生日でもあります。 この日になると いつもこんなふうに言うのが お決まりになっています。 そう言い始めたのは 母が亡くなってからかもしれない。 かれこれ、12年になる。 干支一周ぶんぐるっとまわった。 感慨深くなる前に あっという間すぎて、すこし驚く。 思えば、それから 花を絶やさず飾っている。

 
 
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