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2025.1210 水

札幌は、昨日も少し揺れました。

でも、

ニュースは見ていません。

SNSでもチェックしていません。

ひとまず

身のまわりは大丈夫なので

情報を追わないことにしました。

あとは、みんなの無事を祈る。

友人・知人、

会ったことのない人も

もう会うことのない人も含めて

みんなの無事を祈って寝ます。


2018年の

北海道胆振東部地震のとき

ニュースもツイッターも

ずっと見ていて

ただ疲れた記憶があります。


なにが起きているのか

なにが起きるのか

わからない不安で

不安ににのめり込むように

情報をチェックしていました。

そういうときって

漠然とした不安を

やっぱりかと立証するために

わざわざ不安な情報を

自分から収集している感じです。


ニュースは

何時間も前の

混乱状況や被災状況を

何度も繰り返し流していて

肝心な今の情報がわからなかった。


今を知りたい。

今をわかりたい。

今を感じたい。

今を生きたい。

ただそれだけ。

それだけなのに。


うっかり

今をないがしろにしている。

それに気づいた。


先のことを計画するのは

いいことだと思う。

だけど、

先ばかり考えていると

今がおろそかになってしまう。

失敗を反省するのも

わるいことじゃない。

だけど、

過去ばかり振り返っていると

今が見えなくなってしまう。

それは

今、ここにいないのと変わらない。


ギターの練習で

スタジオに入る。

(スタジオと言ったけど

 カラオケ屋さん)

準備や後片付けのとき

ちょっと急ごうとしていた。

気持ちが前に行って

ギターのシールドを巻くのが

ちょっと雑になったりする。

そして、巻き直す。


あ、今を生きてなかった。

そう思った。


朝、事務所まで向かう道のり

着いてからやることの

順番なんか組み立てていて

空の色や街路樹の紅葉の変化や

その空気を感じずに

ただ歩いているときがある。


あ、今を生きてなかった。

そう気づく。


今を生きる。

誰もが

言葉では理解していると思う。

だけど、

本当に心から理解して

純度を高く感じている人は

それほど多くないと思う。


先のことを心配しないと

ダメな人だという構図が

社会や商売で根付いている。


だけど、

先のことなんか

本当は誰にもわからない。


怖れているのら

その声を聴くことだ。

怖れをなくすことより

わかってあげることだ。

それは

今しかない

今を生きることだと思う。


書くことが楽しくなる文章教室で

みんなでお茶するかい

今週の金曜日です。

まだお席あります。


今日もごきげんでありましょう。

2025.1212 金

冬、まっしぐら。にゃー。 乗車中の市電の座席で 開いた入り口のドアから ひらひらと降り続ける雪に見入り、 ああ、まっしぐらだと感じました。 それはそうと ちょっと言いたい。 自分の性格のわるさを前提として ちょっと言いたい。 なじみの店がね SNSで紹介されていること よくあるじゃないですか。 そのとき、 ちょっと嫌な気分になること ぼくだけですか? よく行く食堂が よくわからん インフルエンサー

 
 
2025.1211 木

そういえば この前の地震で テレビのアナウンサーが 避難警告をしているとき、 その声をこわいと思わなかった。 こんなたいへんなときに 自分の家族を心配したいところ 職務をまっとうして 頭が下がる想いになった。 それがどうしたと思うかもだけど、 自分にとっては 大きな変化で 後からじんわり驚きかみしめた。 能登半島地震のとき。 あれは、2024年の元日だった。 にぎやかな正月特番を観ていた。 テレビ

 
 
2025.1209 火

窓から見える山々は すっかり雪をかぶっています。 まっ白。 昨夜、札幌も揺れました。 そのとき、風呂に入っていました。 湯船に浸かっているときに。 全裸でびしょ濡れ。 緊急時のあらゆる状況においても いちばん弱い状態だと思います。 急いで服を着るも 髪がぜんぜん濡れたまま。 おかしいと思ったら リンスをすすいでいなかった。 最近、ゆっくり風呂に入るとき リンスをつけたらすぐ流さずに 湯船に浸かりな

 
 
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