2025.0306 木
- minoru HASHIMOTO
- 3月7日
- 読了時間: 2分
生でも食えるって──。
この言葉が
好きじゃないんです。
シチュエーションとしては
鍋や焼き肉あたり。
例えば
白菜が煮えたかどうか
ちょっと確認しているとき
その言葉を放つ人がいます。
気にすんなと。
気にしすぎであるかのように。
気にするポイントが違うのに。
生でも食えることは知っている。
そのうで
味のしみた白菜を食べたい。
鍋という料理を楽しみたいから。
生で食べるなら
最初からサラダにしている。
その違いも
ごった煮にしながらの
やや上から言っていることに
がさつさと
身の程知らずさを感じます。
またそれかと。
さくっと、げんなりする気持ち。
あれもちょと似てる。
ホラー映画を観てるとして
こわがっているときに聞く
「つくりものなんだから」ね。
それは、知ってる。
そのうえで
その世界を体感している。
アドバイスなのか?
こわがっている人を
諭すように
こんなものこわくない自分の
自己主張もふくめて
だいなしなことを言っている。
本当に心配をしているなら
もっと違う言葉がある気がする。
どちらも
野暮だと思う。
生でも食えるも
つくりものなんだからも
「今」に水を差している。
とはいえ
それほど気になることでもない。
ちょっと気になること。
でも
そのちょっとは
人それぞれの大切さがある。
死ぬわけじゃねえも
ちょっと似てるかな。
今日もごきげんでありましょう。
