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2026.0206 金
昨日、 おならマン の 顔を見に会いに行った。 ぼくの、父だ。 彼は今、 特別養護老人ホームにいる。 パーキンソン病を持ちながら レビー小体認知症と呼ばれる 症状が見られる状態でもある。 なんかけっこう、元気だ。 僕には見えていないものが 父には見えているようで こちらとしては 突拍子もないように 感じることを 話すので 最初は戸惑った。 戸惑いの成分には ああ、お父さん こんなんなっちゃった。 というような 悲しさや 情けなさや 消化不良の想いがあった。 戸惑いながらも 父の突拍子もない 見えているものに興味がわいた。 ぼくに見えてないだけで、 それが必ずしも正解ではない。 見えていると言うものを 否定しなくてもいいんじゃない? 見えていると感じているのなら それは肯定してあげたい。 施設に入る前 入院中のお見舞いのとき 「お前たち気をつけろ。 近くに狼がいるぞ」と 父がぼくら兄妹に向かって 真剣な小声で言ったことがある。 口に人差し指を当てて しーのポーズで真面目な表情だ。 その狼の原因は 同じ病室の隣のおじさんの 大きないびきだった。 大
2月6日
2026.0205 木
おならのはなし。 昨日 ここ でしたときに モヤっと思いだしたことがある。 ここに放っておこう。 臭ったらごめんなさい。 皆さんは 子どものころ 家庭でおならの音を耳にしました? ぼくの場合 よく聞きました。 父がおならマンだったんです。 母はたしか聞いたことがない。 父のおならが嫌だった。 あぐらをかいてる 重心をかたっぽにずらして 半ケツ上げるかのように ブーとやる男だった。 そのとき 我ここに在り! みたいな自己主張も混ざっている。 そこも合わせて 父のおならが嫌だった。 屁を思いきり放ってこそ、漢なり。 そんなイデオロギーさえ感じて ブレンドされた下品があった。 そのうえ 俺はいいんだ。 お前たちはダメだ。 なぜなら、俺が主だからだ。 という矛盾した主義を ぶんぶん振り回していた。 おならだけでなく 父の振りかざす 男らしさの基準に 子どもながらも 安っぽさを感じていた。 納得できない世界観は ゆっくりと嫌悪として募る。 矛盾を突き詰めれば すぐに滅びそうな世界を そのまま放っておくことも 彼の領域を守ることだと 思うようにして どうでも
2月5日
2026.0204 水
今日は、立春。 新しい季節が始まる。 目の前は雪だらけだけど 春はしっかり来ている。 街路樹の冬芽が準備を始めている。 こんなに積もった雪に 四苦八苦しているのだけど 季節が巡って 当たり前のように太陽が溶かす。 春だから。 誰も不思議に思わないけど 緻密な偶然か奇跡だと思う。 それはそうと おならを間違えてしまう。 スーだと信じてたのに ブーのことが多い。 新婚なので おならなんか控えたいし おならしないキャラでいたい。 おならをするという 人間まるだし中年ぷりに 詫びたくなるような 微細な恥ずかしさが募る。 誰に詫びるのか知らないけれど こんなはずじゃなかった感がある。 スーだと信じて、ブー。 何度も失敗をしているのに 懲りない学習能力の低さ。 学ばないのは 根拠のない自信が根底にあって 毎度、賭けに出たいという 秘めたギャンブラー精神がある。 たまに、 歩き中の スーだと信じて、ブーもある。 これは、本当に恥ずかしい。 ポーカーフェイスの スキルが磨かれていく。 本屋さんで立ち読み中の スーだと信じて、ブーではなく、 スーだと信じて、スー成
2月4日
2/7(土)
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