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2026.0218 水
昨日、 父に会った。 おならマン であり、 刺身嫌い と おじさん嫌い の根源でもある 父の検査に 付き添いで病院に行った。 施設から 妹と一緒に到着した 父の雰囲気がなんか違う。 ぼんやりとして 手ぶらで、丸腰。 子どものようだった。 父にまだ流れている怒り を感じ 心のざわつきの奥にある 残骸のような怒りは 自分そのものだったことを わかることができたのは、 つい最近のことだ。 ずっとずっと感じていた それがぜんぜんない。 食欲がなくて 少し痩せていたけれど 弱っているわけでもない。 おだやかというより まだ眠たそうな表情。 もしかしたら 彼も今、 再生しているのかもしれない。 なんてこと うすぼんやり感じながら 検査は進み どこにも異常はなく ほっとひと安心した。 会計まで時間があり 父が喉が渇いたので ロビーの奥にある 休憩所のような広間に 車椅子を押しながら向かった。 冬の午前の光が 人気のない空間で 跳ね上がっている。 ふたりっきり。 見慣れない場所に 父は少し不安になったようで 周囲をキョロキョロ見渡し 窓の建て付けは大丈夫か 天井
2月18日
2026.0217 火
雪が降り積もった翌朝の 山の美しさに見入る。 鮮やかな青空をしょって、 純白に輝いている。 昨日 もここでふれた おじさん嫌いのおじさん という気づきは ファッションにも影響していた。 おじさん嫌いのおじさんを 受け止めていなかったわけで その状態は おじさんである現在の自分を どこかで否定していることになる。 セカストが好きで よく行くのだけど パッと気になって手にとる服は いつもサイズが小さい。 むかしなら着れたのに……。 かるく、しょんぼり。 今は着れない せつなさや、みじめさを 何度も味わされる。 自分が自分にやっている。 そのタイトなシャツ レディースサイズが着れたのは もうずっと前の過去のことだ。 本当に着たかったら 痩せればいいはずだ。 そして、 いまそのシャツ着たら ちょっと気持ちわるい。 年相応の服装があり 体型にフィットした ファッションがある。 おじさん嫌いのおじさんを 自分のなかで認めたら 服の選び方が変わった。 好みがガラリと変わったのではなく 客観的な視点が 持てるようになった。 今の自分が どの場面で着るのか。 今の
2月17日
2026.0216 月
先週の気づき 自分が、 おじさんが嫌いおじさんだった 余波がじわじわ実っている。 木曜 と 金曜 の ここに書いた。2日にわたって。 その根っこに、 父がいたのだけど 思えば 息子の入学祝いで てっちり を食べ 「タラちり事件」を癒したことや、 父のおならが嫌だった ことも わたしを思い出す旅が 始まっていたのかもしれない。 そんななかの同時進行。 施設にいる父が 介護スタッフの方に手を上げたと 妹から連絡が入った。 妹は切ないと語った。 ぼくは、なにも感じなかった。 妹と同じく 職員の方々に申し訳ない想いが 先にあったけれど、 息子として、 なんだか不思議なくらい 動揺もなくただ冷静だった。 妹の切ないという言葉に そうだよね、切ないよねと 同調する素振りをしている自分に 少し違和感をおぼえた。 ああ、いまぼくは 無関心という盾を使っている。 うんうん。使っているよ。 そうか、そうか。 ぼくが 無関心の盾に 隠していたのは、怒りだった。 くそじじい。 まだそんなことやってるのか。 ここ最近の面会でも うすうす感じていた 父に流れている絶え間ない
2月16日
2/7(土)
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