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2024.1118 月

更新日:10月14日

晴れたら

くずれる。

そんな天気を

1日交互に繰り返している気がします。

札幌です。

子どものころ

家のおにぎりは

まんまるでした。

梅、たらこ、おかか

筋子なんか入ってるときは

かなりテンション上がりました。

まんまるで

しっかり握られていて頑丈で

海苔がぴったりくるまっている。

しっとりとした海苔。

ひらたいまるいボールのようなね。

友だちの家の

おにぎりをもらったとき

中身がツナマヨで

それは初めてのことで

こんなうまいもんがあるかと驚いた。

あれは小2くらいだったはず。

大ちゃんち、すげー。

カルチャーショックみたいなものだった。

もっと小さいとき

小学校入る前くらいかな

母が風邪で寝込んで

なにかつくってあげたいと思って

自分にもできるだろうと選んだのが

おにぎりだった。

でも、どうつくっていいか

見よう見まねの記憶でやってみたものの

びちゃびちゃになって

中身は、冷蔵庫にあった

ごはんですよを入れてみて

自信のない出来栄えだった。

それを食べた母は

まずい!と言った。

ひいき目に見ようと思ったけど

無理だったのかもしれない。

おにぎりをつくって

元気になってほしいという

ぼくの気持ちは叶えられなかった。

かなしいより

なんかごめんのほうが強かったと思う。

もしかしたら

そこから

ぼくは料理に興味を持ったのかもしれない。

たぶん、そう思う。

どうしたら

おいしいって言ってもらえるだろう。

料理は、元気がでるもの

愛情が伝わるもの

そう認識していたんだと思う。

それは、母から受け取ったものだ。

あのとき

おいしいねって

気遣われていたら

料理に興味を持たなかったかもしれない。

大げさかもしれないけれど

人の特性は、

そんなことでつくられていく。

かなしみでくくった出来事に

大切なものが隠れている。

それは

誰のものでもなく

自分だけの味わいとして

尊いものだと思う。

ため息でも

深呼吸でもない

名付けてしまう前の

吐息のような感情を

そっと知りたいと思う。

最近は

セイコーマートの

おにぎりで

サバが入ってるのが好きです。

今日もごきげんでありましょう。



2025.1117 月

ふぐを食べました。 昨日。51歳にして初めてのこと。 息子の大学合格祝いです。 家族3人で、ふぐを食べました。 合格祝いは何を食べたいか 遠慮しなくていいからと 尋ねてみたらば ふぐを食べてみたいと まっすぐに言うわけです。 食べたことがないからと。 そうかそうかと 予想外の答えに 少したじろいだりもしました。 なぜなら ぼくは ふぐを食べたことがない。 うまい店も知らない。 そもそも 食べたいと

 
 
2025.1114 金

先日の11/11に行った 「書くことが楽しくなる文章教室  みんなでお茶するかい」の シェアを今日もしたいと思います。 週末のきりのいいとこまで ひっぱらせてください。 配慮と遠慮。 これが隣り合わせである。 文章を書くことにおいて この配慮を持っている人が ぼくは大好きです。 自分が書いたものの先に かならず読む人がいる。 その根元に どう届くのかを想定している あたたかい気づかいがある。 その

 
 
2025.1113 木

センスがある。 センスがない。 よく聞く言葉だけれど、 ぼくはあまり 使わないようにしている。 この前の 書くことが楽しくなる文章教室で センスあるないの件が 話題に出たので ここでもシェアしてみたい。 ぼくも 書くことを仕事にしていると 文章のセンスがあるんですねと 言われることがある。 そこに他意はないと思うのだけど、 センスなんかで 仕事やれねえよ。 なめんな。 という ゴリゴリのめんどくさ

 
 
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