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2025.0314 金

突っ張り棒は、落ちる。

かならず、いつか。

そこに疑いはない。


夜中に、ドタンと落ちて

物音に驚き、

床に散らばった落下物に

いったいどれほど

愕然としたことだろうか。


それでも

突っ張り棒を信じて

突っ張り直す。

今度こそ、今度こそ。

その想いは

夜中の突然の物音ともに

打ちのめされてきたわけです。


だから

わたしは

突っ張り棒を信じていません。

いつか落ちるものとして

あきらめを

受け入れようともしました。

でも、

いつか落ちるものに

大切なものなど

かけられるだろうか。

突っ張り棚も同じ。

いつか落ちるものには

ティッシュとか

なんかしらのガチャガチャの

フィギュアとか

さしさわりのない軽いものか

落ちても困らないものしか

置けないじゃないか。

それは、棚じゃない。


落ちることを前提として

突っ張れることができますか?


突っ張ってもいつか落ちる棒。

だとしたら

ぼくは、釘を打つ。

賃貸でも大丈夫な細いピンとか

知恵と道具を使って

突っ張らなくても

落ちない棒や棚を選ぶ。


そう決めたら

突っ張らなくてもいいし

突っ張るか

突っ張らないかで

迷うこともないのです。


そして

突っ張り棒は落ちない。

そう信じてやまない人もいる。

突っ張り棒はいつか落ちても

何回でも直せばいいと

ぜんぜん平気な人もいる。

もしかしたら

突っ張り棒って何?と

存在すら知らない人もいるだろう。


それがいいとか

わるいとかではなく。

ただそれだけなんだ。

みんなのテンションは違う。

それだけ。


大切な想いに対して

突っ張っていきたい。

突っ張っていけない。

自分にもかならずある

それぞれの想いに

あたたかくなりたいと思う。


それはそうと

シーズン恒例の

春と冬のいったりきたりを

春よりで見守りたいです。

週末もごきげんでありましょう。

2026.0123 金

いったん 見送りがちかもしんない。 ふとね そんな言葉が浮かんだんです。 タクシーを探していて。 いつもの 歯医者さんから事務所まで。 歩くと20分くらいかな。 その日はあとの用事が控えてたので タクシーに乗ろうと思ったんです。 車通りの多い道に向かいつつ 歩きながら探していて。 乗りたいと思ったその瞬間 タクシーが来たんです。 そしたら いったん見送っちゃったよね。 しかも、2台連続で通り過ぎた

 
 
2026.0122 木

美しい朝でした。 降り積もった雪の夜が明けて、 赤みの帯びた朝陽が 真っ白な静寂を照らす。 すみずみ、澄み渡っている。 駐車場の雪かきで ひと汗かきつつ 愛車が可愛くてたまらない。 事務所へ向かう道のり 誰かが歩いた細い道ができている。 それは、足跡の連なり。 足跡と足跡の あいだの場所を選んで 道幅を増やしながら歩いてみる。 すれちがったお母さんに 抱っこされている赤ちゃんが ぼくを見ている。

 
 
2026.0121 水

動きます──。 それは、 バスの運転手さんの アナウンスでした。 きりりとして ていねいに芯のある響き。 宣言が届いた瞬間でした。 ぼくの今が同調したように その言葉に反応したんです。 ただの 運行中のアナウンスなのはわかる。 バス停で人が降りて 再び動くときのかけ声だ。 でもなんだろう 響いたんだよね。 ぼくの心の どこかにあるスイッチにふれて ぼくのなかの全自分が ウォーっと両手を挙げて 立ち

 
 
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