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2026.0826 水
ふと、思っている。 チャンスとおなじように、 バトンってものは バトンらしく見えるように まわってくるものじゃないんだな。 実はもうすでに ずっとむかしから 受け取っていたりもする。 はいどうぞ。 なんて言われてもいない。 生まれた。 その事実だけでも じゅうぶんに受け取っている。 それは、 命のバトンだ。 選んできたわけじゃない かもしれないけど 選んできたかもしれないやーつ。 ハッキリと明確に 代を受け続くようなケースもある。 それだって そのバトンを 受け取る許可をする 覚悟が必要だと思う。 ハナウタしながら 歩いている道も 誰かがつくってくれたものだし、 その道を清掃したり 修理したりしてくれる人がいる。 役目や任務みたいなもの だけじゃなくて 自分と関係ないと 思っているようなことも めぐりめぐって つながって 受け取っている。 やっぱり キノコの菌のような 見えないけれど 確実に在るという 壮大なスケールを感じる。 縁というバトン。 意識するもしないも自由。 無縁にするも ご縁にするも自分次第というね。 当たり前のことが しみじみ沁み
8月26日
2026.0818 火
お盆過ぎて 朝夕、すっかりひんやり。 墓参りをしたときの なんか誇らしいような スッキリした気持ちがある。 敬意や感謝を 目に見えない関係に抱いている その気持ちの再確認のような 無形のカタチの 手触りを確かめるような感覚。 脳みそで感じようと 心がけるものでもなく 身体から湧いてくる想い。 それは、あたたかい。 言葉にすれば、感謝だけれど 粒単位での いろいろな想いが内包されている。 今ここに立っている自分との つながりを意識するだけで くらくらするほどの奇跡を感じる。 ただ、受け取ろうと思った。 ありがたたい恩恵もあるし、 負のごちゃごちゃもある。 しんどいやつの 繰り越し繰り越しで ぼくにもまわってきたものもある。 意識するしないの前に しっかり受け取っていたんだ。 だから、いい。 めぐりめぐって いただいた負のものも ぼくが受け取ったから、 自分の代でチューニングして ここらで終わりにしたいと思う。 大袈裟に言えば そういう役目も 受け取らせてもらったんだ。 お盆の終わりに ぼくと奥さんの 家系を図にしてみた。 ぼくの家は両親の生い立ちが
8月18日
2026.0817 月
盆あけ〜。 ひとさし指を左右に振りながら 大きな声で言ってみましょう。 快晴。 一段高く感じるさっぽろの空です。 ゆっくり休みました。 ありがてぇ〜がみなぎる。 お墓参りをして 花火を見て 部屋を片付けて 読みかけの本を読んで いたってなにごともない おだやかなお盆を過ごしました。 お盆ってとくに 目に見えないものの 手厚さというか豊かさを感じます。 ずっと在る。つながり。 それをぼくは、受け取っている。 知っている人も 会ったことない人も もう会えない人も これから出会う人も めぐりめぐって、 ぜんぶおなじみたいな。 不思議だらけだけど 結局はシンプルだったりする。 墓参りを終えたあと クルマに入って飛んでった ケセランパセランを見ながら そんなこと考えたんです。 お墓の草むしりもして 汗だくになってね セミが鳴いてて 生きてる!を感じた。 命のバトンを 受け取ってここに立っている。 死んだ人たちよ 安心しておくれ。 ぼくはずっと幸せだ。 身に余るくらいだったら わけっこするよ。 ありがとう。 お盆中 ライブもあったんだよ。 楽しませてもらいま
8月17日
2/7(土)
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