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2026.0217 火
雪が降り積もった翌朝の 山の美しさに見入る。 鮮やかな青空をしょって、 純白に輝いている。 昨日 もここでふれた おじさん嫌いのおじさん という気づきは ファッションにも影響していた。 おじさん嫌いのおじさんを 受け止めていなかったわけで その状態は おじさんである現在の自分を どこかで否定していることになる。 セカストが好きで よく行くのだけど パッと気になって手にとる服は いつもサイズが小さい。 むかしなら着れたのに……。 かるく、しょんぼり。 今は着れない せつなさや、みじめさを 何度も味わされる。 自分が自分にやっている。 そのタイトなシャツ レディースサイズが着れたのは もうずっと前の過去のことだ。 本当に着たかったら 痩せればいいはずだ。 そして、 いまそのシャツ着たら ちょっと気持ちわるい。 年相応の服装があり 体型にフィットした ファッションがある。 おじさん嫌いのおじさんを 自分のなかで認めたら 服の選び方が変わった。 好みがガラリと変わったのではなく 客観的な視点が 持てるようになった。 今の自分が どの場面で着るのか。 今の
2月17日
2026.0216 月
先週の気づき 自分が、 おじさんが嫌いおじさんだった 余波がじわじわ実っている。 木曜 と 金曜 の ここに書いた。2日にわたって。 その根っこに、 父がいたのだけど 思えば 息子の入学祝いで てっちり を食べ 「タラちり事件」を癒したことや、 父のおならが嫌だった ことも わたしを思い出す旅が 始まっていたのかもしれない。 そんななかの同時進行。 施設にいる父が 介護スタッフの方に手を上げたと 妹から連絡が入った。 妹は切ないと語った。 ぼくは、なにも感じなかった。 妹と同じく 職員の方々に申し訳ない想いが 先にあったけれど、 息子として、 なんだか不思議なくらい 動揺もなくただ冷静だった。 妹の切ないという言葉に そうだよね、切ないよねと 同調する素振りをしている自分に 少し違和感をおぼえた。 ああ、いまぼくは 無関心という盾を使っている。 うんうん。使っているよ。 そうか、そうか。 ぼくが 無関心の盾に 隠していたのは、怒りだった。 くそじじい。 まだそんなことやってるのか。 ここ最近の面会でも うすうす感じていた 父に流れている絶え間ない
2月16日
2026.0213 金
おじさんが嫌いだった がね じわじわときいているんですよ。 どよんと感じていて 「なんかそう」くらいの把握。 うすい膜みたいに存在している。 わかってはいる。 けれど、なぜ?の理由については 進めないというか 進む気もないんだよね。無自覚。 おじさん=おっかない →わかりあえない →危害を加える人 そういう想い込みだった。 その根源は、父だったというね。 嫌いとしておくと 自分主導で決めている場所に 自分を置いておくことができる。 おっかないを見なくて済む。 嫌いの濃度として 嫌悪からの見下す成分もあった。 わかりあえなさに 力でねじふせる弾圧への憎しみ、 矛盾だらけの不当な態度への 見損なう感も混在している。 総じて、 「嫌なめ」にあうがある。 その蓄積された想いは ゆるがないくらいの真実として わたしだけの世界が形成される。 その世界は 過去の傷の集合体でもある。 なかなか アップデートされることはない。 それよりも 過去の世界フィルターで 今の人や出来事を判断する。 「やっぱりそうだ」に寄せることで 過去の世界を より絶対的な正解として わ
2月13日
2/7(土)
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