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お正月気分が 薄味だったせいか いまさらでも お正月気分を味わいたい。 お正月も明けなくてはいけないという そんな決まりはないはず。たぶんきっと。 なんなら、 1年中お正月気分でもいいんじゃないか。 そんなこと考えるせいか やたらと、おもちを食べたくなっています。 三が日のあいだ 食欲がないなか お雑煮をつくって食べたときの あ、おもちは食べられる お、おもちおいしいの感覚が 脳に残っているのかもしれない。 あと、 ひきわり納豆に大根をおろしをからめる 納豆もちをしていないのも 気がかりになっているのだろう。 なにかやり残している感じ。 あ、海苔もちもしていなかった。 そうか、雑煮だけだったんだ。 それは 満たされていないのも当然じゃないか。 お正月というより おもち欲が満たされていないんだ。これは。 というか、 おもちが好きだったんだ。 人なみというか べつに嫌いではないくらいの感覚だったけど ぼくは おもち好きだったんだ。 こうして 気づいてみると けっこう好きなほうだ。 子どものころ 「もちっこ」っていう もちつきマシーンで つきたてのおもちを食べていた。 納豆と大根おろしをあえた器に アツアツのおもちをちぎって 入れてくれるのは父親の役目だった。 親鳥がひなに餌をあげるような せわしないくらいなんだけど あのときの幸福感が おもちの印象とつながっている。 それがぼくを おもち好きにさせたのかもしれないなあ。 自分はというと 猫手なんじゃないかと思うくらい 熱いものをさわれないので 父親のやっていた役割はできないだろう。 器を両手に持って はやくぼくにもおかわりほしいと 待ち構えている子どもの自分を想い出す。 ひいき目にみても かなり、かわいいと思う。 食から得た 幸福感や愛情って かなり自分の心に 大きな影響を与えているんだね。 そうかそうか。 そりゃそうか。 よしよし。 今日もごきげんでありましょう。

2025.1113 木

センスがある。 センスがない。 よく聞く言葉だけれど、 ぼくはあまり 使わないようにしている。 この前の 書くことが楽しくなる文章教室で センスあるないの件が 話題に出たので ここでもシェアしてみたい。 ぼくも 書くことを仕事にしていると 文章のセンスがあるんですねと 言われることがある。 そこに他意はないと思うのだけど、 センスなんかで 仕事やれねえよ。 なめんな。 という ゴリゴリのめんどくさ

 
 
2025.1112 水

うれしいです。 書くことが楽しくなる文章教室 みんなでお茶するかい 昨日、初めての回を 大満足で終えました。 参加に手を挙げてくれた Akko さん ありがとうございました。 文章の苦手やつまづきを シェアしてほぐす。 それが目的ではあるけど 苦手を見つめると 得意もわかるんです。 それが、 本当にやりたいことなんだ! って、進めながら グッときてる自分がいました。 グループシェア会として やりた

 
 
2025.1111 火

本日、 「書くことが楽しくなる文章教室  みんなでお茶するかい」です。 文章教室の入り口の グループシェア会のような場。 「みんなでつくるかい」との コラボというのも いろいろ初めての試みです。 やってみたいを やってみるって大切。 当たり前なことを あらためて実感しています。 やってみたい。 やってどうなる? やってみない。 なんてトーンダウンすること けっこうありますよね。 ぼくは、かなりあり

 
 
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