2026.0205 木
- minoru HASHIMOTO
- 21 時間前
- 読了時間: 2分
おならのはなし。
昨日ここでしたときに
モヤっと思いだしたことがある。
ここに放っておこう。
臭ったらごめんなさい。
皆さんは
子どものころ
家庭でおならの音を耳にしました?
ぼくの場合
よく聞きました。
父がおならマンだったんです。
母はたしか聞いたことがない。
父のおならが嫌だった。
あぐらをかいてる
重心をかたっぽにずらして
半ケツ上げるかのように
ブーとやる男だった。
そのとき
我ここに在り!
みたいな自己主張も混ざっている。
そこも合わせて
父のおならが嫌だった。
屁を思いきり放ってこそ、漢なり。
そんなイデオロギーさえ感じて
ブレンドされた下品があった。
そのうえ
俺はいいんだ。
お前たちはダメだ。
なぜなら、俺が主だからだ。
という矛盾した主義を
ぶんぶん振り回していた。
おならだけでなく
父の振りかざす
男らしさの基準に
子どもながらも
安っぽさを感じていた。
納得できない世界観は
ゆっくりと嫌悪として募る。
矛盾を突き詰めれば
すぐに滅びそうな世界を
そのまま放っておくことも
彼の領域を守ることだと
思うようにして
どうでもよくなっていった。
大人になって
いろいろ父を見直してみると
彼は無頼漢あふれるやつではなく
どちらかというと気の弱い人だ。
強さもある。
だけど、繊細だと思う。
繊細が故に傷つき
傷を守るために怒っていた。
そして、根は優しい。
愛にあふれている。
使い方が下手だ。
ああ、
ぼくとそっくり。
もしかしたら
そっくりを目の当たりにして
父は自分の過去に触れ
そんな繊細なようじゃ
世の中で苦労するぞ
男らしくあれと
怒りになったのかもしれない。
それは未消化な傷だから
人にうまく使えやしやい。
でも、根底には愛があった。
今ならそう思える。
ただ、
あのおならは嫌だ。
それも事実で
それは受け取らない。
嫌なものは嫌。それだけ。
ああ
春みたいな天気だな。
これから
特別養護老人ホームにいる
おならマンに会いに行く。
今日もごきげんでありましょう。
