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2025.1104 火
牛乳パックを 切って開きながら、 涙があふれていた。 はたから見ると 奇行のように思えるだろう。 ぼくは 飲み終わった 牛乳のパックを 切って開いて再利用している。 肉や色うつりのする野菜を 切るときにまな板の上に敷く。 これは いつころからやっているのか もうわからないくらい むかしからの 自分のシステムになっている。 その作業をしながら いつも想い出すことがある。 そのとき いつもきまって 胸がチクリとしている。 ぼくが離婚をして 息子と二人暮らしになったころ。 19の彼が 中学生になったばかりだったか 小6だったころか それくらいのときだ。 シングルファザーとして 気張っていた。全方向に。 自分がもし明日死んでも この子が 社会でやっていけるように ちゃんと教えなければいけない。 それも全方向で とにかく ちゃんとしなきゃで その核に安心がなかった。 ある日、息子に 牛乳パックの切って開く作業を 手伝ってもらうことにした。 父親をしながら 主婦業を全力でやっていたので 家事のささやかなことから 小分けにするように 手伝ってもらおうと思った。
2025.1031 金
チャーシューメン。 その存在をどこかで 少しばかり はしたないと思っている。 よくばり。 チャーシューが多いことに 価値を置いているかのような どや感のある欲求の強さ。 ネギが好きで よく食べる店のラーメンが ネギがあうのもあって トッピングに ネギ大盛りを追加したことがある。 楽しみにして いざ食べ始めたら ネギ、多いなあ。 と思っちゃった。 なかば、あきれまじり。 トッピングで追加したんだから ネギが多いのは当たり前だ。 そうなんだけど 好きだから追加してみたら ちょうどいいがくずれていて もともとの一杯にある ネギの量は 調和がとれていたんだと そのバランスの良さを 思い知ったのです。 ネギが好きだからって 安易に多くした自分と 「ネギ、多いなあ」という 当たり前な感想に Wあきれまじりだったわけです。 そんな経験もふまえて チャーシューメンにも あきれまじりの はしたなさを感じるのです。 たまに見る 「ぜんぶのせ」までいくと もうそれはイベントだと思います。 ここまで書いておいて なんだけれども チャーシューメン 食べてみようかな。 食べ
2025.1030 木
少しずつだけど、 本当に少しずつだけど、 動きたい気持ちが湧いてきている。 小さな泡ぶくのように たよりなくもろいけれど ふつふつと 湧いてきているのを感じている。 それをどうするわけでなく 今は、そうかそうかと 微笑ましく、頼もしく、 ただ、感じているのです。 昨日 ここ の冒頭でふれた 一緒のマンションの エレベーターで会った お婆さんとの会話で 実は、はしょっていまして。 改めてフルで 書いておきたいと思います。 お婆さんは、お隣さんでね ぼくが出かけようとしたとき バッタリ会って おはようございますって 挨拶中に二度見したんですけど 腕を骨折していたんです。 右腕が包帯ぐるぐるの 三角巾でぶらんとしている 骨折しましたのたたずまい。 びっくりしちゃった。 思わず、腕は大丈夫ですか? って聞いていて。 お婆さんは明るく 転んじゃってね。 もう大丈夫なんですけどね。 なんて答えてくれたんだけど、 転倒×お婆さん×骨折って ぼくのなかで かなりのヘビーワードだった。 そのとき 困ったことあったら 言ってください。とか ご飯つくりますよ。うちきま
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