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2026.0420 月
早咲きの桜が満開です、さっぽろ。 今年ちょっとかなり早い。 本来の在りたいほうに 少しずつ舵をきることを 選べてきている気がします。 その実感とともに ここのところ 0か100の自分を 感じざるを得ません。 内と外。 人や物事、世界 仕事や家族、友人・知人、 そういった関係性でのことが 多いかもしれません。 ノーガードと シャットアウト。 とことん やるかやらないか。 なんか極端で それはアンバランスで 不器用で、 笑えるものでもなく かわいそうでもある。 ノーガードだから 傷つきやすいし その傷が蓄積されると シャットアウトしてしまう。 ちょうどいいがない。 安全か危険かを ずっと無意識に判断していた。 敵か味方か。 こわい人か、優しい人か そんな 両極端な判断があって どっちでもないくらいの 余白のあるボックスを 持っていなかったように思う。 息子の 大学入学後の もろもろの手続きが多く、 本人の進行スピードが遅くて イライラと心配が募っていた。 そんななか こちらが返信用封筒を 入れていないことを指摘された。 時間がないなか 封筒を買わなき
4月20日
2026.0417 金
春うらら。 うららうらら、うらうらら。 ちらほらほらほら 早咲きの桜が顔だしている さっぽろですよ。 この陽射しを浴びて 春到来のやっとやっとの わくわくした気持ちって うまく言葉にできません。 自然の 意図されていない 美しさにふれたときの なんともいえない心の手ざわり。 きれい。 それでも足りない。 めっちゃきれい? それは品がないか。 感動した!って言うと ちょっと声が大きすぎるような。 そんなふうに 日常の中にも 言葉にしきれないような 感覚や感情があると思います。 それは 想いを言葉に できないわけじゃない。 「愛」だってそう。 言語として「愛」と 表現されているけど、 それだけじゃ足りないような カラダにわいてくるような 血にめぐるような 温度とともに体感している なんらかの「もの」なのは 間違いないだろう。 だからこそ 本当に感じたとき それを言葉にすると 本当の想いが 薄まってしまうような 言い足りなさが生まれる。 つけたすのも余計で ちょうどいいこれ!がない。 それでいい。 その言葉になりきらないほどの あたたかい想いは 言葉に
4月17日
2026.0415 木
「memoのLesson」が 体系的に ぐっと深く濃く 新たなプログラムになりました。 モニター&アンバサダー の 募集を開始しました。 限定10名です。 なもんで 文章に関することを 月曜日から書いています。 たしかにそうなんだけど その言葉にしてしまうと なんか違うんだよな。 そういう違和感ってありません? ぼくは ずっとありました。 「memoのLesson」がそうでした。 どんな? なにができるの? それらを手短に言いたい。 だけど、短くするには すでにある言葉に 置き換える必要がある。 共通認識が高い言葉を使わないと ?が?のままになってしまう。 たとえば 対話型の インタビューセッションで 本当の気持ちがわかる。 なんて、今では言い切れる。 でも、 その手短な言葉に カテゴライズされたくない 抵抗感がずっとあった。 まず、セッションって べつにそういうんじゃない……。 本当の気持ちがわかる? いやいや ちょっと言いすぎているし もっとそういうこと ちゃんとやってる人がいるから そこはほらなんかさ あのあれな感じでさ……。 ああ、いじら
4月16日
2/7(土)
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