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drive

 男は悩んでいた。悩んではいたが、クルマを走らせていた。つまりは、悩みを抱えながら、運転をしていた。軽自動車を。  目前の頼りないワイパーが、フロントガラスに叩きつける雨水をかきわけ、カーラジオからは、はしたないポップスのイントロが流れだす。  剛毛のディスクジョッキーが、  男の名前を読みあげる。  「オーケイ! マカチーニさん、君のリクエストに応えよう。この曲で、失恋なんて乗り越えよっぜ!」  ディスクジョッキーは、鼻につくほどに、よそいきの発音で、曲のタイトルをコールする。  そのとき、男は右折を完遂することに全神経を集中させていた。ラジオから自分のリクエスト・ソングが流れている。  カッチコッチカッチコッチ  右折中のウインカーが、曲のテンポと妙に合っているが、彼は知る由もない。当然のように、ウインカーの音も軽い。  男は、右折を終える。乱暴に軽自動車を放り出し、表通りのコンビニエンス・ストアに駆け込む。腹部をさするように押さえている仕草が気がかりではある。ナンバープレートの黄色がまぶしい。  一方でラジオの電波は、あるマンションの一室にも届いていた。  無難な家具に囲まれた部屋で、ひとり暮らしを始めたばかりの女が、忘れがたい名前を耳にする。  マカチーニ・・・  無難な紅茶を無難なカップに注ぐ彼女の動きが、一瞬だけ止まる。しなやかな指先に力が入る。そして、無難に干された洗濯物の向こうに見ることのできる窓を覗く。  雨が降っている。ただ、降っている。  はしたないそのメロディーは、降り止まない雨とシンクロすることはない。

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