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2025.1029 水

さっぽろの街にも

雪が降りましたよ。

「とうとう冬ですね」と

マンションのエレベーターで

一緒になったお婆さんが言った

その表情は

どこかうれしそうでした。


それはそうと

秋の所在なさをいたわりたい。

出ずっぱりだった夏と

予定をしっかり守る冬との

板ばさみになっている。

季節の間借り感がある。

もっとゆっくり

秋を味わいたい。


それなのに

こんなフレーズが

リフレインします。


雪が降ったら、そこは冬や。

雪が降ったら、そこは冬や。

雪が降ったら、そこは冬や。


「クワバタオハラが

 おったらそこは大阪や」

芸人の永野のネタです。

あれ、おもしろいよなあと

すぐに思考は移動します。


思えばいつも

いろんなこと考えている。

ポッと浮かんで消えて

フッと変わって

ハッとくっきりしたり。

リール動画がジャンルレスに

頭の中で再生されているような

そんな感覚に似ている。


それと、散歩が合う。

なんにも決めないで歩くのと

いろんなこと考えるのは

相性がいいんだと思う。


小学生のころ、

3年生くらいだったかな。

趣味を聞かれてね

散歩だと答えたら

年寄りのすることだから

ほかのを書きなさいと

担任の先生に言われた。

そのとき

教師という生き物を

うっすらと軽蔑した記憶がある。


散歩の良さをわかっていない。

思考の自由な飛躍と

軽快な運動による

心の解放をわかっていない。

その想像力のなさで

人の趣味を変えさせるとは

なんて野暮なやつなんだと思った。


その一瞬、

ガッカリした感情を

さっさと隠したのも覚えている。


大人は

子どもの才能を

邪魔する野暮な生き物だ。

どうせわかってくれない。

そんな想いがずっとあった。

その根源は

父だったんだな。

どうせわかってくれない。

ずっとそう思っていた。


そこが

ほぐれたのは最近です。

あれ?なんのはなしだったっけ?

詳しくはまたどこかで

話せたらと思います。

長い旅だったよ。


友よ。

自分をねぎらおう。

今日もごきげんでありましょう。

2025.1117 月

ふぐを食べました。 昨日。51歳にして初めてのこと。 息子の大学合格祝いです。 家族3人で、ふぐを食べました。 合格祝いは何を食べたいか 遠慮しなくていいからと 尋ねてみたらば ふぐを食べてみたいと まっすぐに言うわけです。 食べたことがないからと。 そうかそうかと 予想外の答えに 少したじろいだりもしました。 なぜなら ぼくは ふぐを食べたことがない。 うまい店も知らない。 そもそも 食べたいと

 
 
2025.1114 金

先日の11/11に行った 「書くことが楽しくなる文章教室  みんなでお茶するかい」の シェアを今日もしたいと思います。 週末のきりのいいとこまで ひっぱらせてください。 配慮と遠慮。 これが隣り合わせである。 文章を書くことにおいて この配慮を持っている人が ぼくは大好きです。 自分が書いたものの先に かならず読む人がいる。 その根元に どう届くのかを想定している あたたかい気づかいがある。 その

 
 
2025.1113 木

センスがある。 センスがない。 よく聞く言葉だけれど、 ぼくはあまり 使わないようにしている。 この前の 書くことが楽しくなる文章教室で センスあるないの件が 話題に出たので ここでもシェアしてみたい。 ぼくも 書くことを仕事にしていると 文章のセンスがあるんですねと 言われることがある。 そこに他意はないと思うのだけど、 センスなんかで 仕事やれねえよ。 なめんな。 という ゴリゴリのめんどくさ

 
 
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