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2025.0604 水

はじめから志しが

あったわけじゃないんです。

なんなら今もない。


ひとりで会社をやってすごい。

って、よく言われます。

謙遜でもなく

会社勤めが無理だったから

ひとりでやっただけ。


40歳のとき

法人にしたのも

もう就職できないだろうから

せめて会社にしておこう。

そんな理由だった。


会社に所属しながら

チームとして仕事をしている人が

実にうらやましい。

それは、ぼくにはできなかった。


自分には

集団行動が無理だったという

バックボーンの希薄さに

なにか申し訳なさも感じていた。


それでも

コピーライターとして

フリーランスになって

20年と2〜3年くらいになる。

たいしたもんだと

褒めてあげてもいいと思う。


集団行動が無理だった反面

他者と他者が集まり

なにかをつくったり

成し遂げていくようなものに

実はものすごい

憧れていたというのもわかった。


ただ、

それができない。

いや、

それができないと

わかったときの

絶望ったらない。

その恐怖のもとに

避けていたんだと思う。


チームやバンド

団体、会社、

そして、家族。

そこにしかない尊さを

胸が熱くなるくらい憧れている。

切望しているのかもしれない。


それが

できない者だと

いつしか決め込んでいた。

いったい

いつからだろう。

物心がついたころかもしれない。

幼少期の傷だった。


その世界は

色濃く自分をつくった。

よくもわるくも。

いいもわるいもなく。


自分の

バックボーンの希薄さにある

申し訳なさの

その奥の奥に

大きな傷があり

そこには

成し遂げられなかった想いと

成し遂げたい想いが存在している。


わたしは

なかよくしたい。


心から想うのです。


運動してる?

今日もごきげんでありましょう。


2025.1117 月

ふぐを食べました。 昨日。51歳にして初めてのこと。 息子の大学合格祝いです。 家族3人で、ふぐを食べました。 合格祝いは何を食べたいか 遠慮しなくていいからと 尋ねてみたらば ふぐを食べてみたいと まっすぐに言うわけです。 食べたことがないからと。 そうかそうかと 予想外の答えに 少したじろいだりもしました。 なぜなら ぼくは ふぐを食べたことがない。 うまい店も知らない。 そもそも 食べたいと

 
 
2025.1114 金

先日の11/11に行った 「書くことが楽しくなる文章教室  みんなでお茶するかい」の シェアを今日もしたいと思います。 週末のきりのいいとこまで ひっぱらせてください。 配慮と遠慮。 これが隣り合わせである。 文章を書くことにおいて この配慮を持っている人が ぼくは大好きです。 自分が書いたものの先に かならず読む人がいる。 その根元に どう届くのかを想定している あたたかい気づかいがある。 その

 
 
2025.1113 木

センスがある。 センスがない。 よく聞く言葉だけれど、 ぼくはあまり 使わないようにしている。 この前の 書くことが楽しくなる文章教室で センスあるないの件が 話題に出たので ここでもシェアしてみたい。 ぼくも 書くことを仕事にしていると 文章のセンスがあるんですねと 言われることがある。 そこに他意はないと思うのだけど、 センスなんかで 仕事やれねえよ。 なめんな。 という ゴリゴリのめんどくさ

 
 
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