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2025.0513 火

あたたかい。

うれしいけど

ちょっと、とまどう。


つい最近まで

なんだったの?と

うれしくないふりしたい気持ち。

春のゆるやかな

変化のグラデーションがないまま

もう初夏でしょか。


あれこれ

言いたくなるけども

なにはともあれ

あたたかいっていい。

ね、いいでしょ?


それはそうと

まえまえから気になってるのが

「完全メシ」です。

CMで目にするたび

こう思うんです。


完全なわけがない。


思ってしまう。

意地悪とか

文句つけたいとか抜きに、

制作の意図やら背景やらも

完全に置いといて

完全なわけがないと

言葉がよぎるんです。


栄養バランスがよくて

手軽につくれて

おいしい。


さあ、完全メシだ。


そのまとめ方は、乱暴だと思う。

バカにしてるのか

バカを相手にしてるのか

言ったもん勝ちのような

はしたなさも感じるのです。


そんなつもりは

ないのかもしれない。

ただ、ぼくが

そう感じるだけなのかもしれない。


でも

言い過ぎじゃないかと

思っちゃうのはしょうがない。


ついでに言うと

マーケティングとか

広告関係者の

作り手や売り手の

おごりを感じます。


完全メシと打ち出しながらも

どこかの片隅に

小さい文字で注釈を載せておく。

ウソはついてませんよ。みたいな。


それが

ビジネスなのだとしたら

そのレースはしんどいだろう。

それでも

走り続けなきゃいけない

立場もあるだろうし

そこには敬意を持っている。


地方の片隅で

コピーライターを

生業にしていたけど

ぼくはもう

言葉を飾ったり盛ったりするのが

ほとほと、バカらしくなったんだ。


本当の言葉しかいらない。

って

思っちゃったんだよね。

それは

思っちゃってしまうのだから

もうしょうがない。

舵を切るしかないのです。


ダサくてもいい

頼りなくてもいい

心から思う言葉に光を感じる。

それがまだ

自信がなくても

うまく言えなくても

言葉にできなくても

その奥底にある光を

ぼくは信じている。

その光は

あたたかい。

それがたまらなく愛しい。


よし。

昼メシでも食べよう。

自転車のチェーン

なおさなきゃなあ。

今日もごきげんでありましょう。


2025.1117 月

ふぐを食べました。 昨日。51歳にして初めてのこと。 息子の大学合格祝いです。 家族3人で、ふぐを食べました。 合格祝いは何を食べたいか 遠慮しなくていいからと 尋ねてみたらば ふぐを食べてみたいと まっすぐに言うわけです。 食べたことがないからと。 そうかそうかと 予想外の答えに 少したじろいだりもしました。 なぜなら ぼくは ふぐを食べたことがない。 うまい店も知らない。 そもそも 食べたいと

 
 
2025.1114 金

先日の11/11に行った 「書くことが楽しくなる文章教室  みんなでお茶するかい」の シェアを今日もしたいと思います。 週末のきりのいいとこまで ひっぱらせてください。 配慮と遠慮。 これが隣り合わせである。 文章を書くことにおいて この配慮を持っている人が ぼくは大好きです。 自分が書いたものの先に かならず読む人がいる。 その根元に どう届くのかを想定している あたたかい気づかいがある。 その

 
 
2025.1113 木

センスがある。 センスがない。 よく聞く言葉だけれど、 ぼくはあまり 使わないようにしている。 この前の 書くことが楽しくなる文章教室で センスあるないの件が 話題に出たので ここでもシェアしてみたい。 ぼくも 書くことを仕事にしていると 文章のセンスがあるんですねと 言われることがある。 そこに他意はないと思うのだけど、 センスなんかで 仕事やれねえよ。 なめんな。 という ゴリゴリのめんどくさ

 
 
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