top of page

2025.0417 木

今から

そんなこと知ってる

ってこ言いたいと思う。


健康って大切。


前置きしたぶんを

はるかに超えたことでしょう。


でもね

いま、改めて噛みしめている。

その大切さを

病気になっていないときに

ゆっくりまじまじと

手にとって見つめている。


もちろん

今までもそう思っていた。

不健康だとも思っていなかった。

じゃあなにかというと

わかってたつもりだったと思う。


カラダが乗り物だとしたら

ガンガン乗り回していた感じ。

なまじっか丈夫だったし

たいしたメンテも必要ない。

まだまだ走れる走れる。


健康に気を使う

そのニュアンスは知っている。

そんなことじゃなくて

そもそも

自分のカラダをいたわることを

ちゃんとしてこなかった。


いたわることを

甘やかすことと

勘違いしていた。


いたわる前に

カラダの声を聞いていなかった。

ちっとも向き合っていなかった。


甘やかしは

ご褒美として

おいしいもの

おなかいっぱいあげること。

つらいことはしない。

休ませてあげること。


カラダがどうしたいのか

いま、どういう状態なのか

まったくおかまいなし。

そうなると

ほどほどの基準がバグる。

いつも足りない。

だけど

動きたくないから

なにもしたくなくなる。


そりゃそうだよね。

大切にできていないんだもの。


健康を気にするって

どっか軟弱な気もしていた。

「意識高い系」みたいな

揶揄するような感覚もあった。

そうじゃないのも知っていた。


健康を気にするとか

そんなことじゃない。

向き合うのは、

わたしのカラダだ。

どうしたいのか

わかったうえで

大切にしたいが生まれる。

健康はそのあとの結果だ。


そんなこと

みんな知ってると思うのだけど

ぼくは知ったつもりだった。

それがわかった今

好きにやりたいと思う。


自分のカラダの

声を聴いてあげて

自分でわかって、選んであげたい。

甘やかすことなく

適量をわかり

ほどよく動いて

寄り添っていたい。


札幌、ひさびさの晴れ。

よしよし。

今日もごきげんでありましょう。

2025.1117 月

ふぐを食べました。 昨日。51歳にして初めてのこと。 息子の大学合格祝いです。 家族3人で、ふぐを食べました。 合格祝いは何を食べたいか 遠慮しなくていいからと 尋ねてみたらば ふぐを食べてみたいと まっすぐに言うわけです。 食べたことがないからと。 そうかそうかと 予想外の答えに 少したじろいだりもしました。 なぜなら ぼくは ふぐを食べたことがない。 うまい店も知らない。 そもそも 食べたいと

 
 
2025.1114 金

先日の11/11に行った 「書くことが楽しくなる文章教室  みんなでお茶するかい」の シェアを今日もしたいと思います。 週末のきりのいいとこまで ひっぱらせてください。 配慮と遠慮。 これが隣り合わせである。 文章を書くことにおいて この配慮を持っている人が ぼくは大好きです。 自分が書いたものの先に かならず読む人がいる。 その根元に どう届くのかを想定している あたたかい気づかいがある。 その

 
 
2025.1113 木

センスがある。 センスがない。 よく聞く言葉だけれど、 ぼくはあまり 使わないようにしている。 この前の 書くことが楽しくなる文章教室で センスあるないの件が 話題に出たので ここでもシェアしてみたい。 ぼくも 書くことを仕事にしていると 文章のセンスがあるんですねと 言われることがある。 そこに他意はないと思うのだけど、 センスなんかで 仕事やれねえよ。 なめんな。 という ゴリゴリのめんどくさ

 
 
bottom of page