2025.0407 月
- minoru HASHIMOTO
- 4月8日
- 読了時間: 2分
札幌にも
そっと春が
着地したような気配です。
先週、東京に着いて
車窓から見る桜に
得した気持ちになりました。
曇空だったせいなのか
気持ちは華やぐけども
なんかもの足りない。
うれしいんです。
ひと足先に
桜を見た得した気持ちもある。
なのに
なんかもの足りない。
それはなんでだろう。
考えたんです。
もの足りなさには
プロセスを
共有していないことに
あるのかもしれないと思った。
もしかしてだけど。
突然、出来上がりを見た感じ。
近所の桜は
咲くまでの過程を見ている。
ぼくはとくに
散ったあとも
葉桜になって枝になって
雪が積もって
冬芽から蕾に色付いて
また咲くまでを見ている。
いつも通る道で
それまでの
季節や気温の変化を
共に過ごしている。
だからこそ
咲いたときの喜びはひとしお。
おめでとうと言いたくなるし
祝福の気持ちを
わけあうような感覚がある。
この感覚は
誰もが同じではないと思う。
そして
桜の名所の場合は
観光として
たくさんの桜を見に
楽しみに行っているから
これはまた別の感覚なんだろう。
週末は
冬物のコートを
クリーニングに出したり
シーツやタオルケットを洗ったり
春を迎える準備をした。
晴れやかな気持ちになった。
お次は、そろそろ
自転車を出そう。
今日もごきげんでありましょう。