2025.0305 水
- minoru HASHIMOTO
- 3月6日
- 読了時間: 2分
実感がない。
3月になってることと同じくらい
51歳になった実感がない。
フィットしていない。
ということは
受け入れてないのかもしれない。
もともと
人に対して
年齢を意識しないので
自分に対しても
そうなのかもしれない。
年齢に
とらわれない。
だとしたら
それはいいことだ。
でも
ものごとには両面ある。
51歳という
年齢の数字が増えていくことに
なんかしら抵抗が
どっかそっかに
あるのかもしれない。
もしかしたら
大人そのものを
受け入れたくないのかもしれない。
年齢にとらわれないぶん
なおさら
受け入れなさを
受け入れやすくしているのだろう。
それを
キャラとして
いつしか定着させている。
そう仮定してみた。
人は、
なんらかのキャラを
無意識ながらも自分で決めている。
苦手なものは
とくにそうなんじゃないだろうか。
ピーマンが嫌い
人見知り
片付け苦手
人それぞれ
いろいろあると思う。
でも
よくよく考えてみたら
ピーマン嫌いキャラを
ただやってるだけに過ぎない。
人見知りや
神経質など
性格に関わることは
それをアイデンティティのように
気づいてしまうわたしを
優位なものとして
語られることもあるだろう。
それは
誰にも頼まれていない。
いつしか勝手に
キャラを受け入れて
キャラを守っている。
わたしが
それをやっている。
なので
本当にそうなのかどうか
見直してみてもいいと思う。
春とか
引越し前とか
タイミングのいいときにでも。
なんなら
周りの期待にまで応えて
やりにかかってることもある。
実年齢の
ピンとこなさについては
たいしたことではない。
だけど
健康面を考えると
自分のカラダとも
しっかり向き合いたいと思う。
老化を拒んで
現在進行形のカラダの
サインを見逃してしまうのは
もったいない気がする。
なので
自分のカラダを
いつくしみ、いたわる姿勢で
自分のカラダのニュースに
興味を持っていこうと思う。
そういう意味で
51歳という基準を持っておこう。
向き合ったうえで
自由で在りたい。
今日もごきげんでありましょう。