2024.1216 月
- minoru HASHIMOTO
- 2024年12月17日
- 読了時間: 3分
きてますきてます。
クリスマスっぽさと師走感。
なんなら
スーパーではもう
正月っぽさもちらほら見える。
いいね。ごちゃまぜ。
ワンプレートご飯みたいに
ぜんぶのせちゃっていい。
ただ、盛りかたに品を持ちたい。
それはそうと
気づいたんです。
そうかもなというくらいの
気づきたてなので
まだ首が座ってないくらいの
加減ではあります。
人との距離感と同じように
出来事との距離感ってある。
さらには
環境や場所
モノとの距離感もある。
ある。という言葉に
ほどよさを持ちたいと込めている。
どっちでもいい。
それくらいのほどよさに
余白が生まれて
その隙間があたたかいこと。
それが大切だと思う。
残念、がっかり。
そこからくる悲しみや怒り。
それは
人それぞれで
受け取りかたも
出しかたも違う。
そうか、違うのかということを
わかるだけで、
余白につながるのだと思う。
同じでありたい
わかちあいたい
希望を持っている。
けれど
その希望の根っこに
安心がないと
「同じであるべき」だという
力みが生じてしまう。
ぼくは
人のことを
良く思いたいと思っている。
控えめに言って
その加減なんだけど
もっともっと根底には
みんな素晴らしいと信じている。
そういう
生き物だということがわかった。
その根元は美しいものだ。
おおいに認めてあげたい。
わたしのいいところとして
受け止めようと思う。
だけど
その想いが
疑うことなく確かに在りつつ
ときどき
見えなくなっていた。
人をなるべく
わるく思いたいくないので
そこを見ないようにすることも
あったんじゃないかと思う。
それは
自分が
傷つくのを守ろうとする
ぼくの無意識が
はりきっていたのかもしれない。
人のことを
わるく思いたくないのと
人のわるいところを
見たくないのは、大きく違う。
その人の
良いところもわかり
わるいところもわかる。
どちらかが
いいもわるいもなく
そういう面があるというだけ。
つまりは
ただそれだけなのだ。
そのうえで
どうしたいかを
自分が知ればいい。
で、出来事も
そうなんじゃないか。
望まないことや
思っていたことと違うこと
大小さまざまなことがある。
その出来事に直面する。
出来事の真っ只中では
なかなか客観的にはなれない。
そりゃそう。
かなしいと感じたなら
その感情は味わいたい。
その先に
見えてくるものがある。
かなしいのは、わかった。
そう受け取る自分がいる。
なんなら
そう思いたがる自分もいる。
もっと言えば
それを発注していた
自分もいるかもしんない。
そっかそっか。
すると
いろいろ見えてくる。
出来事も
人がからんでいることが多いから
同じといえば同じなんだけど
人と出来事を
わけて見てみると
それぞれの
「ただそれだけ」がわかる。
「ただそれだけ」に
「どんだけ〜」をしたくなるのだ。
「そっかそっか」がわいてくると
「どっちでもいい」と思える。
どっちでもいいようにしておける。
わたしは
どうしたいのかの答えを選べる。
長々と書いてしまったけど
わたしに聞く。
それしかない。
例を出すと
わかりやすいのだと思うけど
まとまらないまま
まかない飯を出すように
ここに置いておきます。
今日もごきげんでありましょう。